不愉快の極みへ【グリーン・インフェルノ】
何かにハマる原因
マザコン
私は母親が大好きです(唐突な告白は乙女の特権)
このブログでは準レギュラーくらいのうちの母親ですが、こういう話をすると「マザコンですか?笑」みたいなことを言われるんですけど、ナンセンスですね(半ギレ)この言葉、フェティシズム的な意味を含んだ言葉であるとされています。わかりますね?母親を恋愛対象として見ることができる、って意味ですよ。ほんまに。
とはいえ、母親みたいな性格の人はいいよなぁ、とよく思います。
マザコンなんですかね。
社会人生活を続けていると、私はよく「母親と何したっけなぁ」って思い出す時間があります。二人でパスタ食べに行ったなぁとか、一緒に化粧品のコーナーであれが似合うこれが似合うってやったなぁとか、喫茶店行ったなぁとか、美術館にアレ見に行ったなぁとか。特に美術館に行った時の記憶は鮮明に覚えています。美術館に行くのが好きなのもあって余計に、ですかね。
私はよく美術館に行くんですが、美術品にハマるきっかけになったのは、小学校6年生の時に観た、20世紀モダニズム彫刻の代表者「アルベルト・ジャコメッティ」の「L’Homme qui marche I(歩く男)」に衝撃を受けたからだと記憶しています。
つまようじみたいな細さですね。好きです。母親に半ば無理やり連れて行かれたこの作品が展示されていた美術展が私の価値観を変えました。ここからですかね、美術館に何かを見にきたいと感じるようになったのは。「こんなほっそい。何を思ってこんな極端な作品作ったんやろ。悪ふざけ、やけくそで作ったやろ」と当時感じました。子供が芸術を理解するのは難しいんです。決して「素晴らしい」と思ったわけではありません。ただ、興味深かったんです。
不思議なものを観ました。
何かに「ハマる」っていうのは、必ずしも素直に「良い」「いいね!」というプラスの感情が働きかけたものの結果とは考えていません。とりあえずの「ショック」さえあれば、「ハマる」きっかけになり得ると考えています。もう、心臓に電気ショックする、みたいなもんです。とりあえずパワーのあるものをぶつけてみれば、状態が変わります。力こそパワーです。私の美術における関心は、ジャコメッティのやけくそ作品をぶつけられたことから発生したものなんですね。
さて、今回の記事は「ハマる」という趣味趣向の起源について、自身の考え方を適当に述べましたが、これは映画に関しても当てはまると思っています。
大嫌いな映画のシーン
こんな言葉を聞いたことがあるでしょうか。
言葉の定義としては、人が怒られたり恥をかくような場面を見た時に、まるで自分が怒られたり恥をかいているように感じてしまう事、とされています。 実際に自分がそこにいなくても、テレビ番組やマンガなどで非難されたり場が凍るような状態を見ると、観てられなくなる、といった状態をさします。
割とここ最近作られた言葉です。「羞恥心の共感」というテーマは心理学分野でも鉄板ネタではありましたが、以上のような事象を指す言葉はありませんでした。論文のタイトルでいうと「羞恥心と共感性の関係」みたいなものがメジャーですかね。大学時代は論文が読み放題だったので、日本語英語問わずこんなアーティクルを読んでいました。
さて、唐突に共感性羞恥の話を切り出しましたが、私はこれが特に強いです。
毎年M-1グランプリが開かれていますよね。私はあれを家族で見るのが苦手なんです。大舞台で滑っているシーンなんて毎年あります。あれを観るのがあまりに苦痛で。ドッキリなんてもってのほかですね。「騙されているのを笑われている」というその状況が観るに耐えないんです。
これって、映画でも一緒で、自身の経験と似た大失敗のシーンや、単純に恥ずかしいシーンを観てられないんです。いじめを受けているシーンとかもほんと困ります。
嫌いなんです。
サクセスストーリー物の映画や、アメリカのスクールカーストが如実な映画にはこの手の演出が必要不可欠ですが、私は観てられないので好きになれないんです。今後も、サクセスストーリーは観ないと思います。私には合わないと思います。
前述した「衝撃」が起因する「ハマる」という心的現象ですが、何も単純に「火力」があるものをぶつければ良いわけでもないんですよね。当然心的変化はありますが、プラスには働きません。経験した上で「嫌い」となってしまえばもうそれまでです。
じゃあ、単純に「良い」ではないのにも関わらず「ハマる」ってなんなんだろうか。
不愉快
今回のメインタイトルです。
世には、一定層の「胸糞映画ファン」がいます。そうです。「ミスト」とかが大好きな人ですね。私も漏れなくそうです。
胸糞映画というのは、一般的に結末の胸糞が悪い映画のことを指します。この類の映画は全て「不愉快」な気持ちになります。そして、大概はスタートはハッピーで、ゴールまで不愉快指数はうなぎ登りです。普通であれば経験したくないその感情に、自ら手を伸ばすなんて、字面だけ見たら意味不明ですね。しかし、実際そんな人間はこの世に沢山います。
ホラー映画だってそうです。怖い思いなんて人間誰しもしたくありません。しかし、ホラー映画ファンは沢山いますね。何故でしょうか。理由は至って単純です。
フィクションだからです。
通常では経験できない、したくないが、他人事として扱えるのであれば何も問題は無い。寧ろ興味が湧くといったものです。社会心理学的にも言われており、そもそも人間には「恐怖対象に関して一定の関心がある」とされています。例えば、断崖絶壁を思い浮かべてください。高所恐怖症の人には当てはまりませんが、その下を覗いてみたくなりませんか?(私は無理です。)これは好奇心によるもので、恐怖と好奇心というものは、隣り合わせの関係であると言えます。映画や怪談は「安全が保障された恐怖」。逃げなくていいと分かっているだけに、正体を見たい、接近したいという好奇心が強く湧いてくる、ってものです。
また、中学生くらいの頃ってやけにグロテスクなものに興味をひかれるようになりませんか?私の頃は「ひぐらしのなく頃に」が流行りました。世代がちゃんとバレそうですね。ああいうのって、怖いもの見たさや「普通じゃ見ることができない」ものだから惹かれるんでしょうね。
「胸糞映画」って、ホラーではないにしても、「どんな目にあってしまうのだろう」という好奇心があって観るわけです。これは身の安全が保障された「具合の悪さ」を体感できるわけですね。好奇心です。
個人的な話にはなりますが「救いのない話」ってのが大好きなんです。これに関してはもう好き嫌いの話です。これを言語化できないのがもどかしいです。私の自己分析の怠りでしょうか。難しいですね。
つまり「ハマる」っていうのは、単純な「好奇心」が作用しているだけなんですよね。そこに知らないものがあるから、未経験のものがあるだろうと「期待」するから、のめりこんでいく。心理学の話などもしましたが、原因っていたって単純なんですよね。
映画「グリーン・インフェルノ」について
さて、今回紹介するこの映画ですが、終始胸糞、不愉快、グロテスクの連続です。オススメっていうより、単純な紹介です。あらかじめ書いておきますが、二度と観たくないです。ただ嫌いではないんですよねこれが。
いつもどおりあらすじからいきましょうか。
学生達は、ジャングルの部族を自然破壊から救うため現地へ向かうが、飛行機が墜落。必死に助けを求める生存者達の前に現れたのは、人間を食らう食人族だった。
(Netflixより)
なんてシンプルなあらすじなんでしょう。これ以上でもこれ以下でもありません。
以上です。
学びなんてひとつもありません。
人生100年計画のうちの100分を、曇りのない不愉快で埋め尽くしたいあなたへ
またお前か「イーライ・ロス」
本ブログ、二度目の登場です。監督は胸糞ホラーの巨星、イーライ・ロスですね。
ぜひこれを機に、この監督のお名前、お顔を覚えてあげてくださいね。
有名な作品でいえば「ホステル」「デスウィッシュ」「イングロリアス・バスターズ」あたりですかね。無茶苦茶な映画から、ちゃんと怖いホラーまでおまかせあれです。
以前紹介した、「サクラメント 死の楽園」を撮ったのも彼です。
センスの塊ですね。
映画冒頭から少しだけ
映画の冒頭をキャプチャを交えて紹介していきますね。
毎日、膨大な規模の熱帯雨林が破壊されている
といった内容の映像からスタートします。今作の主人公はそんな環境を守る「環境保護活動」を進めている「意識の高い学生」たちの話になります。
主人公は父親が国連に勤務している女子大生のジャスティン。
大学のサークル長 アレハンドロ率いる積極行動主義のグループに関心を持つようになります。それは恋愛感情であったり、正義感であったりと、多感な大学生のそれが原因です。そのグループは原住民のヤハ族を迫害して熱帯雨林を開発しようとする石油化学企業を止めるべく、アマゾン熱帯雨林へ行く計画を立てていた。作業員が森を伐採する姿を携帯で撮影し、それをストリーム中継することで世間の関心を喚起しようとします。
パパにペルーに向かい、慈善活動をしたいと相談するジャスティン。
冷静になだめるパパと、言うことを聞かない娘ジャスティン。
ここで引き返しておけばと思うばかりである。
パパの言うことを聞かず、ジャスティンはサークルの皆と、ドラッグの売人の資金援助を受けて、ペルーに降り立ちます。ここから対象のアマゾンへは、別の小型飛行機で向かうことになります。
楽しそうですね。いい感じです。今のうちです。
しかし、事態は一変します。
渓流の上を飛んでいた飛行機は調整不備により、不時着してしまうのです。
大変なことになっています。
不時着の末、ジャスティンは目を覚まします。
そこにはいかにもな部族がいて。
ここで自身がどこにいるか初めて理解します。
部族の船の上でした。
周りを見渡せば、大量の部族の群れとやたらと不穏な装飾。
ここで観ている人は思うわけですね。
「はじまった」と。
彼女たちサークルメンバーはみな部族に捕らえられてしまいます。
儀式なのかなんなのかはわかりませんが、やたら触られます。
結果彼女たちは檻に入れられてしまいます。
一人を除いて。
さて、もう何が起こるかお分かりですね。
といった具合で進んでいく映画です。
このあとかなりグロテスクでショッキングな映像が流れるため、キャプチャはしませんが、おそらく皆さんの想像している通りのことが起きます。
彼女たちサークルメンバーは「慈善活動」から、ここの集落を「脱出する」が目的になります。しかし、まだまだ出来上がっていない大学生たち。最善を尽くすものや諦めるもの、道徳心を捨てたものまで勢ぞろいなわけです。
この映画はそんな、ナオミ・ワッツ主演の「キング・コング」の部族のシーンと、極限状態に追い込まれた人間を「観察」する映画となっています。
観たい、というよりは、「気になる」と思った方は観てください。
不愉快であることと、それを観たいという気持ち
もう読んだだけで不愉快なんだが、という人もいるかもしれません。
申し訳ございません。
しかし、こんな作品を取り上げて紹介するのには理由があります。
映画には予告編というものが存在しています。A級B級に関わらずです。私は少なくともこの映画の予告編を観て、この作品を観ました。その予告編があまりに魅力的だったからです。
「一体どんな救いようのないことが起きるんだろうか」
たったその一心で観ました。正直グロテスクなものはあまり得意ではありませんが、そんなシーンが映ることは承知の上でした。
実際、「胸糞が悪い」と思わせることは大変難しいことだと思います。
理由はいたって単純で、胸糞の悪い作品は「クソ映画」と隣り合わせだからです。
100分を無駄にした、と思った段階で「クソ映画」に認定されます。嫌な気持ちになっただけであるならば、認定待ったなしですね。しかし、この映画、胸糞が悪い反面、一種のアトラクション要素を含んだ作品になっています。あまりにリアルに描かれる、成熟していない大学生の人間模様と、刻一刻と迫ってくる「贄」としての使命。観ているこっちがずっと落ち着いていられないような映画なんです。
私がこの類の映画が好きなのはなにも、人間としての感情が欠如しているからではありません。
「胸糞映画」として評価を受ける作品は、そんじょそこらの生半可な作品より、よっぽど人の心を理解していて、演出が長けているものばかりなんです。臨場感、という単語が容易く使われる映画のレビューですが、こんな映画にこそ相応しいコメントなんです。派手なアクションに「臨場感」とか使うのやめませんか?
心と映画が常時リンクしているような映画に、その単語を使いませんか?
「感動モノ」の映画に飽きたあなた。
もしよかったら、こんな映画で「心を揺さぶられる」経験をしてみませんか?
揺さぶられたら、こんな興味深い映画に「ハマって」みませんか?