くたびれ社会人は外に出ない

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不気味の谷の夢の国【フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法】

言語化できない気味の悪さ

不気味の谷現象」

ど頭からの問題提起、失礼いたします。
不気味の谷現象という言葉は聞いたことありますか?

不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。

 

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これが違和感に変わるグラフ

絶妙にリアリティのあるものに、唐突に嫌悪感を抱くタイミングが訪れることがあります。例えば、ラブドールであったり、妙にリアリティのあるマネキンだったり。もっと人工物感があればいいのに、企業努力しちゃうもんだから逆に気持ち悪くなってるやつ。あれです。あの嫌悪感の正体がこれなんですよね。

現在この言葉が正しく使われているかは分かりませんが、広義的には「パッと見なんの変哲もないのに、気持ち悪い、嫌悪感を抱く」といった意味で使われている場面を散見します。

今回はこの話を主軸に記事を書いていこうかと思います。

なんだか凝視できない絵画

私は以前に美術館に行くことが好きだ、と書いた記憶があります。母の影響で芸術作品に多少の造詣があります。母の教育の賜ですかね、「これはあれのオマージュか」ってわかるシーンが映画の中で見つけると嬉しくなりますね。

私が中学生の頃、母から「これを読め」と渡された、中野京子先生の著書「怖い絵」にて紹介されるある一枚の絵が私はどうも苦手でした。

その絵はルドンの描いた「キュクロープス(Le Cyclope)」という作品です。

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ルドンの有名な絵画。造詣の深い人からは「ベタなものを笑」とか言われそう...

本来キュクロプスとは野蛮であり、獲物を狩って食べ尽くす野生の生き物、として神話の中で悪役として登場するものです。
普通なら災厄であるはずの獣が、ルドン特有の心象描写である大きな眼で、やさしく見つめている姿で描かれる。一つ目であること以外、普通の人間と変わらぬ眼差しを向けているような気がします。
絵画下部にて、全裸で横たわっているのはナーイアスと呼ばれる妖精です。キュクロプスはこの「性的に成熟した処女」を優しいひとつ眼でじっと見つめているように見えますよね。キュクロプスは、恥ずかしくて妖精の「あられもない」姿とじかに向かい合うことができず、岩山のかげに身を隠してしまうのです。

なんて、ここまで自身のもちえる知識とgoogle先生に頼って絵画の解説を書いたわけなんですが...。個人的にも勉強になりました。いいですね、こうやって役に立たない知識を少しずつ蓄えて行く作業って。

ところで、この絵を観て、どのような感情を抱きましたか?

当時の私は無知でありがなら、一つ目の化け物は勇ましい、野蛮な顔つきをしているという固定観念がありました。(ドラクエギガンテスとかがまさにそう。)
しかしどうでしょう。この絵の一つ目の化け物は優しい顔をしている。しかも、化け物がいるのにも関わらず、風景のタッチがやたら幻想的である。まるで、気持ちの悪い「夢」を観ているような気分になるのです。

自身の頭の中で、どれだけシナリオを理解しようと、解釈の違いを描いているのだと理解しても、単純に「凝視」できないんです。なぜかキュクロプスと目が合う気がして。
妙にキュクロプスの表情が人間味溢れていて、「気味が悪い」と感じてしまうんです。

あくまで個人的な感想です。とはいえ、私はこの絵が魅力的であることを理解していると同時に、ずっと観ていられないんです。目を背けてしまいます。

様子がおかしい

絵画の話を読んでいただいた皆様には、なんとなく分かってしまったかもしれませんが「不気味である理由」を伝えるのって難しいんです。

論理的にどれだけ並べることができても、「共感」してもらうことはあまりにも難しいことです。おそらくその論理的に並べた言葉さえ、自身が感じている「本当の不気味」とはリンクしていないのかもしれません。理解できないことに「不気味」と感じてしまうのである、と何かの心理学の論文で読んだ気がします。

とはいえ、皆様が腹落ちするような例もあげることができそうです。

様子がおかしい」という字面の怖さ。これを軸にここでは書いていきたいと思います。

 

先日、私の「元」先輩から、以下のようなLINEが来ました。

誕生日おめでとう!

○○(←私の名前)に手伝ってほしい仕事があるねん。

やるやらん置いといて、それの話をしたいねんけど、

飯でもいかへんか?

...。
これ、わかる人にはわかると思うのですが、マルチの勧誘です。
うんざりです。私にはこんな誘い来ないと思っていたんですが、来てしまいました。
誠に遺憾ですね。
自身がそのような業種に手を染める、と思われていることが情けないです。

当然ではありますが、断りの文面を送りました。
しかし怖いもので、次に送られてくる文章は、
「自身のビジネスの正当性と、私とビジネスの話をしたい」という提案。
まったくもって脈絡のない話の展開に、私は慄きました。

話が通じないんですよね。

映画「パラノーマル・アクティビティ」の最後のカットで映る、ケイティを観たような気分です。

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明らかに「人」ではないなにか

既に洗脳され切っているのか、それとも背水の陣がいくところまでいくと人はああなってしまうのか...。わかりませんが、少なくとも、会話もままならない状況に戦慄するほかなかったのです。 

何が言いたいかというと、「常識」が通じず、なおかつ、「理解」のできないものを、人は恐れ、「不気味」であると感じてしまう、というわけです。

様子がおかしい」ものに人は「不気味」であると感じてしまうんですよね。当然です。

映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」について

フロリダにはウォルトディズニーワールドリゾートがあります。「真夏の魔法」なんてださいサブタイトルの由来はこれかもしれませんね。

今回紹介する映画はこちら。映像の美麗さから話題になり、アメリカの底辺社会を描いた作品です。主人公である「母親 ヘイリー」は、マリファナの柄の水着をデザインしていたインスタグラマーが演じています。登場人物、ほとんど役者としては素人なんです。びっくらこいた。

ちなみに私は、ディズニーランドに生まれてから一回も訪れたことがありません。
...なにか変ですか。

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最高のポスターだ。

あらすじ

6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルでその日暮らしの生活を送っている。周りの大人たちは厳しい現実に苦しむも、ムーニーはモーテルに住む子供たちと冒険に満ちた毎日を過ごし、そんな子供たちをモーテルの管理人ボビーはいつも厳しくも優しく見守っている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく—

期待の新鋭「ショーン・ベイカー

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ちょいNerd入ってるな?いいぞ、もっとやれ

全編iPhoneで撮影された『タンジェリン』(15)で大きな注目を集めた新鋭の監督です。正直、映画フリークでもなければ彼の名前がポンッと出てくることはないでしょう。
だって、2017年に公開された「フロリダプロジェクト」以降、新作が出ていないんですもの。

彼の特徴はなんといっても、「美しい」映像表現。
それは、技術介入なんて言葉では片付けられないものがあります。

以下で映画の冒頭を紹介しますが、
まるで絵本のような色合いで、ずっと映画は進んでいきます。
ラストのシーンは、彼の十八番「iPhone」で撮影しています。
そりゃもう必見よ。

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ふつくしいアメリカのお菓子みたい

いい意味で「アメリカのお菓子」みたいな色合いの映画を撮る監督です。
今後に期待ですね。

ちなみに、現在撮影中の映画はダークコメディもの、らしいです。
なんやそのジャンル。

映画冒頭からすこしだけ

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モーテルって響き、いいなぁ

舞台はアメリカのフロリダ。ここに来る観光客はみな「ディズニーリゾート」に来る人間。ここで暮らす1世帯の家族が本映画の主人公です。

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かわいいね

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いたずらが過ぎると管理人に怒られます。

いたずらっこのムーニー。映っているほかの子供たちはお友達です。モーテルの住民は皆仲が良いようです。日本の団地のあの雰囲気とそこまで変わらないかもしれませんね。

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草やな、それ

こちら無職のヘイリー。ムーニーの母親でありシングルマザーです。
彼女は年齢も幼く、勉強も得意じゃない。
母親というより、「姉妹」のような印象を受ける彼女。
無職でありながら、娘を養い続けるのは不可能。なんなら家賃もまともに払えていないのだ、というところからストーリーは始まります。

娘、友達、部屋はあれど、お金はない。ならば稼ぐしかない。
彼女はハローワークに仕事を探しに行きます。

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(仕事)ないです

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死ゾ

彼女の見た目(入れ墨)や、贅沢すぎる希望は通らず。紹介できる仕事がないと門前払いされてしまいます。

当然、貯金はなくなり、苦しくなっていく一方。
なんとか周りの力を借りながらその日暮らしを続けていくことになります。ただそれも長くは続きません。

娘を自身の手で満足に育てることができないと理解していながら、周りに強がりの「笑顔」を振りまく彼女でしたが、とうとう限界が来ます。
同時に、ムーニーがただのいたずらっこではないことがここで分かります。

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幼い子供でありながら、彼女は大人の些細な感情や表情の変化に気が付いていました。思い返すと、彼女はいつも母親の感情に寄り添って行動していたな、と気づかされるわけです。

ヘイリーはなんとかこの生活から脱却しようと試行錯誤するわけですが、学もなく、まともに働いてきたことのない彼女がこの状況を打破するのはそう簡単なことではありません。

この状況を加速させるように状況は悪化します。

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あまりにも悪すぎる環境と子育てに見兼ね、ムーニーを保護するとCPS(児童保護サービス)が来てしまいます。

この映画はアメリカの従来の下層社会のリアルな描写に加えて、映像の美しさや質の高い「素人」の演技によって完成度が高まっている作品です。無邪気な子供たちと、苦悩する大人たちの「ひと夏」の物語となっています。

アメリカンドリームばかりを描きたがる映画市場とは違う、リアルでなおかつ「幻想的」なこの作品をぜひ観ていただきたいのです。

レビュー

普段こんなシンプルな大見出しで書かないんですよね。
でも、たまには味気ないのもいいですよね。

作品として、かなり有名なわけではありませんが、話題性のある映画で、なんせポスターがいいんですよ。欲しいくらいです。

今回の映画紹介の記事どうでした?


大変綺麗な色遣いで、貧困層でありながらも逞しく生きる、母子家庭のハートフルな映画で、観てみようかな、と思って頂けたでしょうか。

 

記事を書くにあたって、紹介した映画のレビューを観ていたんです。
それらの中で印象的だったものがあるのでいくつか紹介します。

  • 「ラストシーンとエンドロール、最高でした。」
  • 「見応えあるラストだったし、とてつもなく素敵だった。」
  • 「終わり方が急ですこしびっくりしたけど、面白かった。」

なぜ何の変哲もないこのレビューを取り上げたか分かりますか?

 

 

全部「大嘘」だからです。

 

 
普段、ネタバレをせずに記事を書くことを心掛けております。
しかし、この映画の仕組みだけ、最後に書かせてください。
エンディングの感想も述べています。大事なのはエンディングではないですが、読みたくない人もいると思います。
「仕組みも教えていらん。静かにして。」という人はここでブラウザバックしていただいて構いません。

 

 

この映画、大変絵が美しいのですが、それとは対照的に状況は「地獄」そのもの。「楽しそうな子供たち」と「現実を受け止めるしかない大人」の両サイドから描かれるこの映画。明らかに映像美と状況、ハイコントラストな風景とストーリーが一致しなくて「気味が悪い」です。

今回、映画を「敢えて」綺麗に紹介しました。
明らかに、本記事の「タイトル」と「紹介」が一致していないんですよね。違和感に気付いていただけましたでしょうか。

こちらの映画、【フロリダ・プロジェクト ネタバレ】なんて検索ワードが候補に出てくる程度には、ラストシーンが「考えさせられる」ものとなっています。

以下私の感想なんですけど、
この映画のラストを観た後、「綺麗だったな」「まぁ、よかったな」っていう風に最初感じたんです。
ただ、エンドロールを観ていくうちに自身の感覚が麻痺していたことが分かりました。

でも麻痺しててあたりまえです。

「辛さ」「悲しさ」が薄まって、「幸せ」「喜び」に変えてしまうようなエンディングを演出しているんですから。
まるで、麻酔にでもかかっていたのだろうか、というくらい「絵の美しさ」に騙されていたんですよね。

二度と観たくないですねこの映画。見る価値はあります。
だから紹介しています。

さて、テーマとして取り上げました「不気味」「違和感を感じる」ということ。

今回の映画、なにも、不気味なのは状況が一致しないことだけじゃないんですよね。

 

本当に気味が悪いのは

同じ映画を観た人との話が全く合わないこと

なんですよね。