不気味の谷の夢の国【フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法】
言語化できない気味の悪さ
「不気味の谷現象」
ど頭からの問題提起、失礼いたします。
不気味の谷現象という言葉は聞いたことありますか?
不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。
絶妙にリアリティのあるものに、唐突に嫌悪感を抱くタイミングが訪れることがあります。例えば、ラブドールであったり、妙にリアリティのあるマネキンだったり。もっと人工物感があればいいのに、企業努力しちゃうもんだから逆に気持ち悪くなってるやつ。あれです。あの嫌悪感の正体がこれなんですよね。
現在この言葉が正しく使われているかは分かりませんが、広義的には「パッと見なんの変哲もないのに、気持ち悪い、嫌悪感を抱く」といった意味で使われている場面を散見します。
今回はこの話を主軸に記事を書いていこうかと思います。
なんだか凝視できない絵画
私は以前に美術館に行くことが好きだ、と書いた記憶があります。母の影響で芸術作品に多少の造詣があります。母の教育の賜ですかね、「これはあれのオマージュか」ってわかるシーンが映画の中で見つけると嬉しくなりますね。
私が中学生の頃、母から「これを読め」と渡された、中野京子先生の著書「怖い絵」にて紹介されるある一枚の絵が私はどうも苦手でした。
その絵はルドンの描いた「キュクロープス(Le Cyclope)」という作品です。
本来キュクロプスとは野蛮であり、獲物を狩って食べ尽くす野生の生き物、として神話の中で悪役として登場するものです。
普通なら災厄であるはずの獣が、ルドン特有の心象描写である大きな眼で、やさしく見つめている姿で描かれる。一つ目であること以外、普通の人間と変わらぬ眼差しを向けているような気がします。
絵画下部にて、全裸で横たわっているのはナーイアスと呼ばれる妖精です。キュクロプスはこの「性的に成熟した処女」を優しいひとつ眼でじっと見つめているように見えますよね。キュクロプスは、恥ずかしくて妖精の「あられもない」姿とじかに向かい合うことができず、岩山のかげに身を隠してしまうのです。
なんて、ここまで自身のもちえる知識とgoogle先生に頼って絵画の解説を書いたわけなんですが...。個人的にも勉強になりました。いいですね、こうやって役に立たない知識を少しずつ蓄えて行く作業って。
ところで、この絵を観て、どのような感情を抱きましたか?
当時の私は無知でありがなら、一つ目の化け物は勇ましい、野蛮な顔つきをしているという固定観念がありました。(ドラクエのギガンテスとかがまさにそう。)
しかしどうでしょう。この絵の一つ目の化け物は優しい顔をしている。しかも、化け物がいるのにも関わらず、風景のタッチがやたら幻想的である。まるで、気持ちの悪い「夢」を観ているような気分になるのです。
自身の頭の中で、どれだけシナリオを理解しようと、解釈の違いを描いているのだと理解しても、単純に「凝視」できないんです。なぜかキュクロプスと目が合う気がして。
妙にキュクロプスの表情が人間味溢れていて、「気味が悪い」と感じてしまうんです。
あくまで個人的な感想です。とはいえ、私はこの絵が魅力的であることを理解していると同時に、ずっと観ていられないんです。目を背けてしまいます。
様子がおかしい
絵画の話を読んでいただいた皆様には、なんとなく分かってしまったかもしれませんが「不気味である理由」を伝えるのって難しいんです。
論理的にどれだけ並べることができても、「共感」してもらうことはあまりにも難しいことです。おそらくその論理的に並べた言葉さえ、自身が感じている「本当の不気味」とはリンクしていないのかもしれません。理解できないことに「不気味」と感じてしまうのである、と何かの心理学の論文で読んだ気がします。
とはいえ、皆様が腹落ちするような例もあげることができそうです。
「様子がおかしい」という字面の怖さ。これを軸にここでは書いていきたいと思います。
先日、私の「元」先輩から、以下のようなLINEが来ました。
誕生日おめでとう!
○○(←私の名前)に手伝ってほしい仕事があるねん。
やるやらん置いといて、それの話をしたいねんけど、
飯でもいかへんか?
...。
これ、わかる人にはわかると思うのですが、マルチの勧誘です。
うんざりです。私にはこんな誘い来ないと思っていたんですが、来てしまいました。
誠に遺憾ですね。
自身がそのような業種に手を染める、と思われていることが情けないです。
当然ではありますが、断りの文面を送りました。
しかし怖いもので、次に送られてくる文章は、
「自身のビジネスの正当性と、私とビジネスの話をしたい」という提案。
まったくもって脈絡のない話の展開に、私は慄きました。
話が通じないんですよね。
映画「パラノーマル・アクティビティ」の最後のカットで映る、ケイティを観たような気分です。
既に洗脳され切っているのか、それとも背水の陣がいくところまでいくと人はああなってしまうのか...。わかりませんが、少なくとも、会話もままならない状況に戦慄するほかなかったのです。
何が言いたいかというと、「常識」が通じず、なおかつ、「理解」のできないものを、人は恐れ、「不気味」であると感じてしまう、というわけです。
「様子がおかしい」ものに人は「不気味」であると感じてしまうんですよね。当然です。
映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」について
フロリダにはウォルトディズニーワールドリゾートがあります。「真夏の魔法」なんてださいサブタイトルの由来はこれかもしれませんね。
今回紹介する映画はこちら。映像の美麗さから話題になり、アメリカの底辺社会を描いた作品です。主人公である「母親 ヘイリー」は、マリファナの柄の水着をデザインしていたインスタグラマーが演じています。登場人物、ほとんど役者としては素人なんです。びっくらこいた。
ちなみに私は、ディズニーランドに生まれてから一回も訪れたことがありません。
...なにか変ですか。
あらすじ
6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルでその日暮らしの生活を送っている。周りの大人たちは厳しい現実に苦しむも、ムーニーはモーテルに住む子供たちと冒険に満ちた毎日を過ごし、そんな子供たちをモーテルの管理人ボビーはいつも厳しくも優しく見守っている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく—
期待の新鋭「ショーン・ベイカー」
全編iPhoneで撮影された『タンジェリン』(15)で大きな注目を集めた新鋭の監督です。正直、映画フリークでもなければ彼の名前がポンッと出てくることはないでしょう。
だって、2017年に公開された「フロリダプロジェクト」以降、新作が出ていないんですもの。
彼の特徴はなんといっても、「美しい」映像表現。
それは、技術介入なんて言葉では片付けられないものがあります。
以下で映画の冒頭を紹介しますが、
まるで絵本のような色合いで、ずっと映画は進んでいきます。
ラストのシーンは、彼の十八番「iPhone」で撮影しています。
そりゃもう必見よ。
いい意味で「アメリカのお菓子」みたいな色合いの映画を撮る監督です。
今後に期待ですね。
ちなみに、現在撮影中の映画はダークコメディもの、らしいです。
なんやそのジャンル。
映画冒頭からすこしだけ
舞台はアメリカのフロリダ。ここに来る観光客はみな「ディズニーリゾート」に来る人間。ここで暮らす1世帯の家族が本映画の主人公です。
いたずらっこのムーニー。映っているほかの子供たちはお友達です。モーテルの住民は皆仲が良いようです。日本の団地のあの雰囲気とそこまで変わらないかもしれませんね。
こちら無職のヘイリー。ムーニーの母親でありシングルマザーです。
彼女は年齢も幼く、勉強も得意じゃない。
母親というより、「姉妹」のような印象を受ける彼女。
無職でありながら、娘を養い続けるのは不可能。なんなら家賃もまともに払えていないのだ、というところからストーリーは始まります。
娘、友達、部屋はあれど、お金はない。ならば稼ぐしかない。
彼女はハローワークに仕事を探しに行きます。
彼女の見た目(入れ墨)や、贅沢すぎる希望は通らず。紹介できる仕事がないと門前払いされてしまいます。
当然、貯金はなくなり、苦しくなっていく一方。
なんとか周りの力を借りながらその日暮らしを続けていくことになります。ただそれも長くは続きません。
娘を自身の手で満足に育てることができないと理解していながら、周りに強がりの「笑顔」を振りまく彼女でしたが、とうとう限界が来ます。
同時に、ムーニーがただのいたずらっこではないことがここで分かります。
幼い子供でありながら、彼女は大人の些細な感情や表情の変化に気が付いていました。思い返すと、彼女はいつも母親の感情に寄り添って行動していたな、と気づかされるわけです。
ヘイリーはなんとかこの生活から脱却しようと試行錯誤するわけですが、学もなく、まともに働いてきたことのない彼女がこの状況を打破するのはそう簡単なことではありません。
この状況を加速させるように状況は悪化します。
あまりにも悪すぎる環境と子育てに見兼ね、ムーニーを保護するとCPS(児童保護サービス)が来てしまいます。
この映画はアメリカの従来の下層社会のリアルな描写に加えて、映像の美しさや質の高い「素人」の演技によって完成度が高まっている作品です。無邪気な子供たちと、苦悩する大人たちの「ひと夏」の物語となっています。
アメリカンドリームばかりを描きたがる映画市場とは違う、リアルでなおかつ「幻想的」なこの作品をぜひ観ていただきたいのです。
レビュー
普段こんなシンプルな大見出しで書かないんですよね。
でも、たまには味気ないのもいいですよね。
作品として、かなり有名なわけではありませんが、話題性のある映画で、なんせポスターがいいんですよ。欲しいくらいです。
今回の映画紹介の記事どうでした?
大変綺麗な色遣いで、貧困層でありながらも逞しく生きる、母子家庭のハートフルな映画で、観てみようかな、と思って頂けたでしょうか。
記事を書くにあたって、紹介した映画のレビューを観ていたんです。
それらの中で印象的だったものがあるのでいくつか紹介します。
- 「ラストシーンとエンドロール、最高でした。」
- 「見応えあるラストだったし、とてつもなく素敵だった。」
- 「終わり方が急ですこしびっくりしたけど、面白かった。」
なぜ何の変哲もないこのレビューを取り上げたか分かりますか?
全部「大嘘」だからです。
普段、ネタバレをせずに記事を書くことを心掛けております。
しかし、この映画の仕組みだけ、最後に書かせてください。
エンディングの感想も述べています。大事なのはエンディングではないですが、読みたくない人もいると思います。
「仕組みも教えていらん。静かにして。」という人はここでブラウザバックしていただいて構いません。
この映画、大変絵が美しいのですが、それとは対照的に状況は「地獄」そのもの。「楽しそうな子供たち」と「現実を受け止めるしかない大人」の両サイドから描かれるこの映画。明らかに映像美と状況、ハイコントラストな風景とストーリーが一致しなくて「気味が悪い」です。
今回、映画を「敢えて」綺麗に紹介しました。
明らかに、本記事の「タイトル」と「紹介」が一致していないんですよね。違和感に気付いていただけましたでしょうか。
こちらの映画、【フロリダ・プロジェクト ネタバレ】なんて検索ワードが候補に出てくる程度には、ラストシーンが「考えさせられる」ものとなっています。
以下私の感想なんですけど、
この映画のラストを観た後、「綺麗だったな」「まぁ、よかったな」っていう風に最初感じたんです。
ただ、エンドロールを観ていくうちに自身の感覚が麻痺していたことが分かりました。
でも麻痺しててあたりまえです。
「辛さ」「悲しさ」が薄まって、「幸せ」「喜び」に変えてしまうようなエンディングを演出しているんですから。
まるで、麻酔にでもかかっていたのだろうか、というくらい「絵の美しさ」に騙されていたんですよね。
二度と観たくないですねこの映画。見る価値はあります。
だから紹介しています。
さて、テーマとして取り上げました「不気味」「違和感を感じる」ということ。
今回の映画、なにも、不気味なのは状況が一致しないことだけじゃないんですよね。
本当に気味が悪いのは
同じ映画を観た人との話が全く合わないこと
なんですよね。
不愉快の極みへ【グリーン・インフェルノ】
何かにハマる原因
マザコン
私は母親が大好きです(唐突な告白は乙女の特権)
このブログでは準レギュラーくらいのうちの母親ですが、こういう話をすると「マザコンですか?笑」みたいなことを言われるんですけど、ナンセンスですね(半ギレ)この言葉、フェティシズム的な意味を含んだ言葉であるとされています。わかりますね?母親を恋愛対象として見ることができる、って意味ですよ。ほんまに。
とはいえ、母親みたいな性格の人はいいよなぁ、とよく思います。
マザコンなんですかね。
社会人生活を続けていると、私はよく「母親と何したっけなぁ」って思い出す時間があります。二人でパスタ食べに行ったなぁとか、一緒に化粧品のコーナーであれが似合うこれが似合うってやったなぁとか、喫茶店行ったなぁとか、美術館にアレ見に行ったなぁとか。特に美術館に行った時の記憶は鮮明に覚えています。美術館に行くのが好きなのもあって余計に、ですかね。
私はよく美術館に行くんですが、美術品にハマるきっかけになったのは、小学校6年生の時に観た、20世紀モダニズム彫刻の代表者「アルベルト・ジャコメッティ」の「L’Homme qui marche I(歩く男)」に衝撃を受けたからだと記憶しています。
つまようじみたいな細さですね。好きです。母親に半ば無理やり連れて行かれたこの作品が展示されていた美術展が私の価値観を変えました。ここからですかね、美術館に何かを見にきたいと感じるようになったのは。「こんなほっそい。何を思ってこんな極端な作品作ったんやろ。悪ふざけ、やけくそで作ったやろ」と当時感じました。子供が芸術を理解するのは難しいんです。決して「素晴らしい」と思ったわけではありません。ただ、興味深かったんです。
不思議なものを観ました。
何かに「ハマる」っていうのは、必ずしも素直に「良い」「いいね!」というプラスの感情が働きかけたものの結果とは考えていません。とりあえずの「ショック」さえあれば、「ハマる」きっかけになり得ると考えています。もう、心臓に電気ショックする、みたいなもんです。とりあえずパワーのあるものをぶつけてみれば、状態が変わります。力こそパワーです。私の美術における関心は、ジャコメッティのやけくそ作品をぶつけられたことから発生したものなんですね。
さて、今回の記事は「ハマる」という趣味趣向の起源について、自身の考え方を適当に述べましたが、これは映画に関しても当てはまると思っています。
大嫌いな映画のシーン
こんな言葉を聞いたことがあるでしょうか。
言葉の定義としては、人が怒られたり恥をかくような場面を見た時に、まるで自分が怒られたり恥をかいているように感じてしまう事、とされています。 実際に自分がそこにいなくても、テレビ番組やマンガなどで非難されたり場が凍るような状態を見ると、観てられなくなる、といった状態をさします。
割とここ最近作られた言葉です。「羞恥心の共感」というテーマは心理学分野でも鉄板ネタではありましたが、以上のような事象を指す言葉はありませんでした。論文のタイトルでいうと「羞恥心と共感性の関係」みたいなものがメジャーですかね。大学時代は論文が読み放題だったので、日本語英語問わずこんなアーティクルを読んでいました。
さて、唐突に共感性羞恥の話を切り出しましたが、私はこれが特に強いです。
毎年M-1グランプリが開かれていますよね。私はあれを家族で見るのが苦手なんです。大舞台で滑っているシーンなんて毎年あります。あれを観るのがあまりに苦痛で。ドッキリなんてもってのほかですね。「騙されているのを笑われている」というその状況が観るに耐えないんです。
これって、映画でも一緒で、自身の経験と似た大失敗のシーンや、単純に恥ずかしいシーンを観てられないんです。いじめを受けているシーンとかもほんと困ります。
嫌いなんです。
サクセスストーリー物の映画や、アメリカのスクールカーストが如実な映画にはこの手の演出が必要不可欠ですが、私は観てられないので好きになれないんです。今後も、サクセスストーリーは観ないと思います。私には合わないと思います。
前述した「衝撃」が起因する「ハマる」という心的現象ですが、何も単純に「火力」があるものをぶつければ良いわけでもないんですよね。当然心的変化はありますが、プラスには働きません。経験した上で「嫌い」となってしまえばもうそれまでです。
じゃあ、単純に「良い」ではないのにも関わらず「ハマる」ってなんなんだろうか。
不愉快
今回のメインタイトルです。
世には、一定層の「胸糞映画ファン」がいます。そうです。「ミスト」とかが大好きな人ですね。私も漏れなくそうです。
胸糞映画というのは、一般的に結末の胸糞が悪い映画のことを指します。この類の映画は全て「不愉快」な気持ちになります。そして、大概はスタートはハッピーで、ゴールまで不愉快指数はうなぎ登りです。普通であれば経験したくないその感情に、自ら手を伸ばすなんて、字面だけ見たら意味不明ですね。しかし、実際そんな人間はこの世に沢山います。
ホラー映画だってそうです。怖い思いなんて人間誰しもしたくありません。しかし、ホラー映画ファンは沢山いますね。何故でしょうか。理由は至って単純です。
フィクションだからです。
通常では経験できない、したくないが、他人事として扱えるのであれば何も問題は無い。寧ろ興味が湧くといったものです。社会心理学的にも言われており、そもそも人間には「恐怖対象に関して一定の関心がある」とされています。例えば、断崖絶壁を思い浮かべてください。高所恐怖症の人には当てはまりませんが、その下を覗いてみたくなりませんか?(私は無理です。)これは好奇心によるもので、恐怖と好奇心というものは、隣り合わせの関係であると言えます。映画や怪談は「安全が保障された恐怖」。逃げなくていいと分かっているだけに、正体を見たい、接近したいという好奇心が強く湧いてくる、ってものです。
また、中学生くらいの頃ってやけにグロテスクなものに興味をひかれるようになりませんか?私の頃は「ひぐらしのなく頃に」が流行りました。世代がちゃんとバレそうですね。ああいうのって、怖いもの見たさや「普通じゃ見ることができない」ものだから惹かれるんでしょうね。
「胸糞映画」って、ホラーではないにしても、「どんな目にあってしまうのだろう」という好奇心があって観るわけです。これは身の安全が保障された「具合の悪さ」を体感できるわけですね。好奇心です。
個人的な話にはなりますが「救いのない話」ってのが大好きなんです。これに関してはもう好き嫌いの話です。これを言語化できないのがもどかしいです。私の自己分析の怠りでしょうか。難しいですね。
つまり「ハマる」っていうのは、単純な「好奇心」が作用しているだけなんですよね。そこに知らないものがあるから、未経験のものがあるだろうと「期待」するから、のめりこんでいく。心理学の話などもしましたが、原因っていたって単純なんですよね。
映画「グリーン・インフェルノ」について
さて、今回紹介するこの映画ですが、終始胸糞、不愉快、グロテスクの連続です。オススメっていうより、単純な紹介です。あらかじめ書いておきますが、二度と観たくないです。ただ嫌いではないんですよねこれが。
いつもどおりあらすじからいきましょうか。
学生達は、ジャングルの部族を自然破壊から救うため現地へ向かうが、飛行機が墜落。必死に助けを求める生存者達の前に現れたのは、人間を食らう食人族だった。
(Netflixより)
なんてシンプルなあらすじなんでしょう。これ以上でもこれ以下でもありません。
以上です。
学びなんてひとつもありません。
人生100年計画のうちの100分を、曇りのない不愉快で埋め尽くしたいあなたへ
またお前か「イーライ・ロス」
本ブログ、二度目の登場です。監督は胸糞ホラーの巨星、イーライ・ロスですね。
ぜひこれを機に、この監督のお名前、お顔を覚えてあげてくださいね。
有名な作品でいえば「ホステル」「デスウィッシュ」「イングロリアス・バスターズ」あたりですかね。無茶苦茶な映画から、ちゃんと怖いホラーまでおまかせあれです。
以前紹介した、「サクラメント 死の楽園」を撮ったのも彼です。
センスの塊ですね。
映画冒頭から少しだけ
映画の冒頭をキャプチャを交えて紹介していきますね。
毎日、膨大な規模の熱帯雨林が破壊されている
といった内容の映像からスタートします。今作の主人公はそんな環境を守る「環境保護活動」を進めている「意識の高い学生」たちの話になります。
主人公は父親が国連に勤務している女子大生のジャスティン。
大学のサークル長 アレハンドロ率いる積極行動主義のグループに関心を持つようになります。それは恋愛感情であったり、正義感であったりと、多感な大学生のそれが原因です。そのグループは原住民のヤハ族を迫害して熱帯雨林を開発しようとする石油化学企業を止めるべく、アマゾン熱帯雨林へ行く計画を立てていた。作業員が森を伐採する姿を携帯で撮影し、それをストリーム中継することで世間の関心を喚起しようとします。
パパにペルーに向かい、慈善活動をしたいと相談するジャスティン。
冷静になだめるパパと、言うことを聞かない娘ジャスティン。
ここで引き返しておけばと思うばかりである。
パパの言うことを聞かず、ジャスティンはサークルの皆と、ドラッグの売人の資金援助を受けて、ペルーに降り立ちます。ここから対象のアマゾンへは、別の小型飛行機で向かうことになります。
楽しそうですね。いい感じです。今のうちです。
しかし、事態は一変します。
渓流の上を飛んでいた飛行機は調整不備により、不時着してしまうのです。
大変なことになっています。
不時着の末、ジャスティンは目を覚まします。
そこにはいかにもな部族がいて。
ここで自身がどこにいるか初めて理解します。
部族の船の上でした。
周りを見渡せば、大量の部族の群れとやたらと不穏な装飾。
ここで観ている人は思うわけですね。
「はじまった」と。
彼女たちサークルメンバーはみな部族に捕らえられてしまいます。
儀式なのかなんなのかはわかりませんが、やたら触られます。
結果彼女たちは檻に入れられてしまいます。
一人を除いて。
さて、もう何が起こるかお分かりですね。
といった具合で進んでいく映画です。
このあとかなりグロテスクでショッキングな映像が流れるため、キャプチャはしませんが、おそらく皆さんの想像している通りのことが起きます。
彼女たちサークルメンバーは「慈善活動」から、ここの集落を「脱出する」が目的になります。しかし、まだまだ出来上がっていない大学生たち。最善を尽くすものや諦めるもの、道徳心を捨てたものまで勢ぞろいなわけです。
この映画はそんな、ナオミ・ワッツ主演の「キング・コング」の部族のシーンと、極限状態に追い込まれた人間を「観察」する映画となっています。
観たい、というよりは、「気になる」と思った方は観てください。
不愉快であることと、それを観たいという気持ち
もう読んだだけで不愉快なんだが、という人もいるかもしれません。
申し訳ございません。
しかし、こんな作品を取り上げて紹介するのには理由があります。
映画には予告編というものが存在しています。A級B級に関わらずです。私は少なくともこの映画の予告編を観て、この作品を観ました。その予告編があまりに魅力的だったからです。
「一体どんな救いようのないことが起きるんだろうか」
たったその一心で観ました。正直グロテスクなものはあまり得意ではありませんが、そんなシーンが映ることは承知の上でした。
実際、「胸糞が悪い」と思わせることは大変難しいことだと思います。
理由はいたって単純で、胸糞の悪い作品は「クソ映画」と隣り合わせだからです。
100分を無駄にした、と思った段階で「クソ映画」に認定されます。嫌な気持ちになっただけであるならば、認定待ったなしですね。しかし、この映画、胸糞が悪い反面、一種のアトラクション要素を含んだ作品になっています。あまりにリアルに描かれる、成熟していない大学生の人間模様と、刻一刻と迫ってくる「贄」としての使命。観ているこっちがずっと落ち着いていられないような映画なんです。
私がこの類の映画が好きなのはなにも、人間としての感情が欠如しているからではありません。
「胸糞映画」として評価を受ける作品は、そんじょそこらの生半可な作品より、よっぽど人の心を理解していて、演出が長けているものばかりなんです。臨場感、という単語が容易く使われる映画のレビューですが、こんな映画にこそ相応しいコメントなんです。派手なアクションに「臨場感」とか使うのやめませんか?
心と映画が常時リンクしているような映画に、その単語を使いませんか?
「感動モノ」の映画に飽きたあなた。
もしよかったら、こんな映画で「心を揺さぶられる」経験をしてみませんか?
揺さぶられたら、こんな興味深い映画に「ハマって」みませんか?
映画に無意味なシーンなんてない【us】
映画を観る体力
だいぶ間が空きましたね...
久しぶりの記事ですね。プライベートが多少忙しかったので、こちらに時間を割けていませんでした。
引っ越しです。
実は職場が東京から地元大阪に移りました。ありがたい話ですね。これからまた、以前のような頻度で記事を更新できそうです。
毎度帰省するときに感じていたことではありますが、JR大阪駅に降り立った時に見える、グランフロントとルクアを見ると涙が出てくるんです。
なんなんですかねあれ。
二郎系ばかり食べていたあの頃、素直な味のする「来来亭」を食べたときの気分に似てますね。「これよ、これこれ」みたいな感じでしょうか。
趣味だからとかじゃない
さて、いつもの語りだしをしましょうか。
私は日曜日にだいたい4,5本映画を観ています。これを多いと感じるか、普通と感じるかは個人差があると思いますが、知人からは「よくそんなに映画観れるな。体力がもたんし、集中力が持たへんわ」と言われることが少なくありません。
全くもってその通りで、4本目あたりは集中力も体力も持ってかれています。「実は重要でした!」なんてシーンも普通に見落としてしまいます。でも好きだから見ちゃうんです。
普段は、サスペンス、ミステリーなどを1,2本目にもってきて、4,5本目は分かりやすいアクションとかコメディかB級を観ています。分かりやすいので言うと、「キングスマン」みたいなもんでしょうか。こうでもしないと、ちゃんと観てられないですからね。
「重要なシーン」
さて、先ほど、重要なシーンを見逃してしまう、という話をしましたが単純な派手なアクションシーンや殺人のシーンなんて見逃しませんよね?
見逃しがちなのは、所謂「フラグ」「伏線」と呼ばれるものです。これらは映画を予測したり考えさせて楽しめる反面、すべてを察してしまい、答え合わせを待ち続けるだけの時間に変わってしまいかねない要素です。ちなみに、映画「イニシエーションラブ」は答え合わせを待ち続けることになってしまい、苦痛でした。
映画「シャッターアイランド」はいい例ですね。「伏線」の応酬です。情報量が多すぎて、映画2.5本分くらいの体力を持っていかれます。よくある映画ブログがやりたがる「ネタバレ」にうってつけの映画です。この映画、答え合わせが面白いので気になったら観てほしいです。だいぶ有名な作品なので、オススメしなくとも、といったところはあるかもしれませんが。。。
本題に戻りますが、何故「重要なシーン」を見逃してしまうのでしょうか。
理由はいたってシンプルで、重要なシーンと「無意味なシーン」が紙一重だからなんですよね。
「このシーンいる?」
主人公が出ていった後の部屋が数秒映し出される、謎のどアップ、変な場所へのフォーカスなどなど。集中力がなくなってくるとこのあたりの「無意味」と感じるシーンをスルーしてしまったりするんです。しかし、そこには監督の意図が必ずあって、木に竹を継いだようなシーンでさえ、ストーリーに必要なパーツであることがほとんどです。
上手に伏線をばらまいている映画も中にはありますが、「ヒント」を露骨に与えてくれる映画の方が多く、そちらの方が楽しめる場合が多いです。同時にこの手の映画の課題は、それとなくそのヒントを描写をして、ダイレクトに「解答に導かない」ことです。あくまで、この類のヒントを楽しい、面白いと感じられるものは、物語の中で「語られない」部分の推測が出来る箇所だと個人的には考えています。
「やっぱりなwww」と結末で思うのはあくまで副産物であって、映画の語られない部分を自身で作り上げていくのがこの類の映画の醍醐味だと思うんです。
ちなみに、母に「このシーンいる?www」って何度も言われるのは、映画「ルパン三世 カリオストロの城」にて、ルパンが囚われの身となったクラリスに会いに行ってマジックを披露するシーンです。
キレそう
どんでん返しと露骨な宣伝
日本で公開される際に宣伝文句としてよく使われる「あなたはラスト10分で騙される」っていうのが嫌いなんですよ。あなたは騙されるために観に行くんですか?端からアラを探して映画を観るのが楽しいですか?って話なんです。それが好きな人もいるとは思うんですが、ラストの10分にステータス全振りした映画を観るために、残り80分を捧げられないなぁ、と私は思うんです。
不確定な要素が多すぎる、ゆっくり違和感を覚えていく、その先に私たちが謎を解いていくというプロセスが発生するんじゃないのかなって。
さて、ここまでこんな話をしてしまうと、今回の映画の紹介をした時点で本末転倒な気がしますね…。
安心してください。あくまで今回紹介する映画は、私がアンチしていたような内容の映画ではありません。
映画「us」について
まずはいつも通りあらすじから
アデレードは夏休みを利用して、夫と2人の子供たちと一緒に幼い頃住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪問する。彼女は友人一家と落ち合いビーチへ出掛けるが不可解な出来事に見舞われ、過去のトラウマがフラッシュバックする。やがて夜になると、自分たちとうり二つの不気味な4人組が家の前に現れる。
(シネマトゥデイより)
この短いあらすじから既に、不穏な空気が漂っていますね。いい感じです、私が大好きな感じです。露骨なホラーテイストではない、けれども、確実に「只者」でない雰囲気が素晴らしいですね。
ルピタ・ニョンゴ
最近かなり引っ張りだこの女優ですね。お恥ずかしながら、私は彼女の出演作をあまり拝見できていません。MARVELなどが好きな方であれば彼女を目にしたことがあるはず。「ブラックパンサー」ですね。あまり興味が惹かれないMARVEL作品の中で、私が観た作品の一つです。(もう一つはヴェノムです。)
他の作品で言えばスターウォーズのEP7以降に出演しています。ここ最近の話題の映画に結構出ていて、日本で公開される映画の今後の出演に期待ですね。
ちなみに、本作での彼女は家族のママ役兼主人公として出演しています。
大変綺麗な顔立ちをしていることが、この映画においては、単純なプラスに働きません。気味が悪いというか、具合が悪いというか。
ジョーダン・ピール
彼の名前をポンと出しても、「誰ですか?」となる方のほうが多いのではないでしょうか。彼はコメディアンをしていたり、ナレーターをしていたりと、多岐にわたる分野で活躍されている方ですが、日本では知られていません。
じゃあ、どんな映画を撮る人なんですか?という話をしておくべきですよね。
以下のポスターを観て察してください、そんな感じです。
ひっさしぶりに、監督の名前だけで映画を選べる、と思うような監督に出会えました。私個人的には、監督「クリストファー・ノーラン」みたいな立ち位置の方です。
映画冒頭から少しだけ
さて、ネタバレしない程度に映画の冒頭を紹介していきますね。
主人公アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は夫と二人の子を持つ母。彼らウィルソン一家はアデレードが乗り気でないのを後目に夏休みにサンタクルーズにあるビーチハウスを訪れます。近くに別荘を持っているみたいです。いいですね。アメリカらしい余暇の過ごしかたですね。
家族全員でビーチを満喫していました。長男のジェイソン(なぜかいつもお面を被っている)は砂浜で遊んでいるはずでしたが、母親である、アデレードが目を離したすきに、どこかに行ってしまいます。
そのころ一方、ジェイソンはひとりで皆のいるビーチの反対側に来てしまいます。
手から血を流し、両手を広げている男を目撃します。
その後、何事もなかったかのように、ウィルソン一家は別荘へと帰宅します。
事件はその夜に起きます。
ジェイソンが不穏なことを言い出します。
パパは死亡フラグみたいなのを軽く立てていくんです。
ドアから外を見ると4人の人影があります。
「彼女たち」はウィルソン一家の姿を見るや否や、別荘に強襲をかけます。
為す術もなく、彼女たちの家に侵入されてしまいます。
しかし、「彼女たち」はウィルソン一家をすぐには襲いません。
暖炉のあるリビングで、初めて「彼女たち」の正体がわかります。
そう、「彼女たち」の正体は「彼女たち」でしたね。
この映画はここからがスタートです。
所謂、ドッペルゲンガーと揶揄される彼女たちはいったい何者で、何を目的に彼女たちを襲うのか。そして、各所に散らばる不可解な映像が何を意味するのかを考えながら観ていただけると、この映画を倍楽しむことができます。
語らずの美学
「新世紀エヴァンゲリオン」が今でも人気なのは何故なのか。
それは、「AKIRA」が今でも熱狂的なファンがいるのと同じで、最早神格化されている事も一因でしょう。私個人的には、劇中で語られない部分や考察の幅が広すぎることが原因にあると思います。庵野自身は大して結末やシナリオを深くは考えていないかもしれませんね。でもそれでもいいんです。
大事なのは「作品を作中で完結させない」ことじゃないですか?観たあとにあーでもないこーでもないと考察するのは楽しくないですか?それが例え監督の真意でなくとも。
いい映画って、考える事で自身の体の一部となるような映画だと思うんです。今回の映画がそうです!なんて言えるようなもんを紹介したか、って言われると難しいんですけどねwww考察が楽しい映画です。
考えさせる場所なんて見る人の数だけ存在して、他人からすればどーでもいいシーンでも、自分にしたら刺さるシーンなんていくらでもあります。
「たった120分」の中で取捨選択をして出来たその映画に、無意味なシーンなんてないんです。
ハラスメントって便利な言葉すぎへん?【モンスター上司】
後輩が入ってきました!
7/1付けで後輩がきました
かなり普通のブログみたいな書き出し、いいですね。ママさんブログの「幼稚園に入園しました!」みたいな書き出しなので、F1層の読者がついてもいいと思います。
さて、タイトルのとおり、私の部門に新入社員が入ってきました。私は今年二年目の社会人なので、こういう後輩ができるっていうのは初めてです。
よくある「若いね」「初々しいね」と、上司たちが年上面するのを見てられない人なんですけど、確かに初々しかったです。私は1日目だけはかなり大人しくしていました。わかりますその気持ち。
ガッチガチに緊張していたので、こんな適当な先輩社員もいるのよ、ってわかってほしくて、オーバーサイズの黒のTシャツに、黒スキニー、数珠2つに指輪をつけて懇親会に行きました。普段通りの恰好ではあるんですけどね。
「変な人がいるんですね」、と新人さんは別の先輩社員に言ってたみたいです。
よく初日で気が付きましたね。
陰キャが頑張って話していたのがバレたんでしょうか。
具合悪いです。
言って「良いこと」「悪いこと」
さて、懇親会や飲み会の場になると、踏み込んだ話を上司が振ってしまいがちです。私としては、もはや守る物もないので、上司の無茶ぶりの的です。得意です、そういうの。掘ればなんか出てくる、と思ってるんでしょうね。
出てきます。
ところが、誰もが皆そんな「させこ」みたいな立ち回りできませんよね。当然です。特に上司は女性男性関わらず「彼女(彼氏)いるの?」みたいな話題を振りがちです。まだ、若手社員がその話を振るならわかるんです。「あ~狙ってんな?(笑)」とか、「まぁ、いてもいなくても盛り上がる話題やもんな」って、若手社員が場を作るうえで、なけなしの大学生スキルを披露できる場ですから。
これが、妻(旦那)子持ちの上司が振ったらどうだろう。いや、かまわんけど、「意図はなんだ?」って勘ぐっちゃうんですよね。「場を盛り上げるため」なら、若造に任せてくれや!って思うわけですよ。これ、あくまでポイントは「異性に向けて」ってとこなんです。少なくとも男同士だと、こんな会話、息を吐くようにできますよ。しかしこれを、男性の先輩社員が、女性の後輩社員に振ったらどうですか。
「セクハラ」、だと思いました?
私は思わないんですよね。散々、上の人がこういう話題振るのってどうなん?って話をしてきましたけど、別にセクハラとは微塵も思いません。明らかに文章の流れを無視してしまいましたが、私は単純に、何を考えているのかが気になっただけです。
「〇〇ハラ」なんてのが増えすぎィッ!って話題はかなり前に、話し尽くされていますよね。今更そんな話する気もないです。
恋人がいるかどうかの話題、「どうでもいいだろww」って思うなら、話して問題なくないですか?嫌なら「ノーコメントで!」くらいの終わらせ方してしまえばいいんですよ。この話だけで、どれだけ場が持ちますか?ほかの人にも波及できますし、間が持ちます。苦手とわかれば、次からそんな話題を振る人の近くに行かなければいいです。もしくは、そんな飲み会に今後行かなければいいんです。これくらいで「セクハラ」と言われたら、もう上司は何も話せませんよ?
その話をされるのがいやなら拒否すればいいんです。なんでもかんでも上司に求めすぎ。
むしろこの場で本当に触れてほしくないことって、人によっては「親の話」とかじゃないですか?人によって、センシティブな話題は様々ですが、基本的に、危ない話題は避けて会話はするものです。
私は全然フルオープンで話しますけどね。
じゃあどんな上司がどんな話すればいいの?
どんな話題でもよくないか?
単純にその人を不快にさせなければよいだけ。これだけ社会人生活を続けているなら、多少なりとも善し悪しはわかります。
やってはいけないことは「センシティブな話題」の深堀と、「不愉快な話題」の継続。そして、「断れない状況」に陥れることです。
以上のことを強制的にさせられるときに、初めて「〇〇ハラ」が成り立つんですよね。
今回紹介する映画
「〇〇ハラ」というワードを主体的に取り上げたバカみたいな映画です。
ここ最近取り上げる映画、どいつもこいつも真面目なやつばっかだったんで、悪ふざけが行き過ぎてる作品を取り上げますね。
「モンスター上司」について
おおまかなあらすじ
あらすじ
毎日のようにウンザリする仕事をしているニック、カート、デイルの3人は、それぞれのどうにも耐えられない上司を葬り去れば、少しはマシになると考えるようになる。彼らは怪しい雰囲気の酒好きな元詐欺師のアドバイスを受け、絶対に成功する“上司排除計画”を遂行するが、最高の計画だったはずなのに穴だらけで……
今回冒頭にお話しした、○○ハラにぴったりの作品です。
ちなみにこの映画、大学の受験期に母親と夕飯の時間にカッスカスになるまで観ました。今でもバカ笑いできる程度にはこの映画面白いです。
観る頻度でいったら、「高菜」くらいですかね。私の食生活においてかなりの頻度で出てきます。
ド直球なタイトルと豪華俳優の無駄遣い
もうポスターを見た段階でわかると思いますが、上司のキャストを見てほしい。ジェニファー・アニストン、コリンファレル、ケビンスペイシー。あまりにも強すぎますね。
ジェニファーアニストン
ドラマ「フレンズ」のレイチェル役があまりにも有名ですね。2000年から2005年までは、ブラットピットと結婚していました。最近話題になったのが、ブラッドピットが受賞スピーチ後にとった行動ですが、米テレビ番組『Entertainment Tonight』のTwitterがこの画像を上げていましたね。
フレンズのレイチェル役があまりにも印象深いですが、どの映画においても「良き恋人」が板につく女優です。例えば、主演がジムキャリーの「ブルース・オールマイティ」なんて素晴らしいですよ。
コリンファレル
コリン・ファレルは1976年5月31日生まれのアイルランド人俳優です。ハリウッド映画を中心に活躍しています。ティーンエイジャーのころはサッカークラブのゴールキーパーとして将来を嘱望される選手でしたが、10代の終わりごろから演劇に興味を持ち始め、演劇学校に進学、中退してテレビドラマで活躍し始めます。
という感じで、ありきたりな紹介をしましたが、観てほしい作品は「S.W.A.T.」。これでもかってくらいどストレートなB級ハリウッド映画の良作ですね。二枚目な感じがすごくいいです。
「ファンタスティックビースト」や「マイアミ・バイス」にも出ていたので、見覚えのある人はたくさんいるでしょう。
ケビンスペイシー
最近、性的暴行の疑いやらなんやらで黒い噂が絶えない彼ですが、出ている映画は名作揃い。
ケヴィンスペイシーは、高校を卒業した後に俳優ではなく、コメディアンとして活躍したいと思い、一般人が参加できるバラエティ番組のオーディションなどにも参加していました。ですが合わないと思ったんでしょうね。俳優を目指します。
結果、さまざまな名作に出演するわけです。
映画「セブン」は映画ファンの義務教育でしょ。違いますか。
他には、ファンがやたら多い「ラスベガスをぶっつぶせ」、あとは米国ドラマの「ハウスオブカード」。もう露骨なはまり役が多い俳優です。
ということで、「やばい」上司役の三人を紹介しましたが、どれも強すぎるキャスト。今回は、この3人が「脇役」を演じるクソ映画の紹介なんですよ。
「モンスター上司」
映画は、主人公「ニック」の昇進間近、という状況からスタートする。昇進を前に、ねぎらいの言葉をケビンスペイシーがかける。
普段からの激務が評価され、どうやら昇進をするらしいニック。待ちわびた昇進当日の朝の会議。
ニックの昇進叶わず。
そう。ケビンスペイシーの演じる上司は「パワハラ」上司。無茶苦茶な働かせ方を部下に強いた挙句、昇進は取りやめ。やりたい放題極まりない。
うんざりするニックは、古くからの友人3人と飲み会をする。
大人になった彼らは、仕事の愚痴をこれでもかとこぼす。
昇進取りやめになったニックはこの表情である。
次は第二の主人公「カート」のターン。
もうこの会話の通り、コリンファレルは「バカ」なんです。どうしようもないんですね。しかも薬物中毒者。
3人とも憤りを覚えているみたいで、会話は行き着くとこまできてしまったね。最後は第3の主人公「デイル」のターン。
彼は、ジェニファーアニストン演じる歯科医の助手として働いています。美人な上司っていいですよね。うらやましいです。
ジェニファー・アニストンは「セクハラ」の権化。普通だとこういう役は男性側が演じるものだと思っていましたが、この映画では女性。
というかジェニファー・アニストンにセクハラされるならもう良くねえか?だめか。
その結果、彼らはある決断をします。
そして、上司を殺す決断をする彼らは、ある人に助けを求めます。
この映画、ジェイミーフォックスが出ています。初めて観たときはこの段階で笑ってしまいますね。
彼が演じるのは、殺し屋(と言われている)ディーン・"MF(マザーファッカー)"・ジョーンズ。ニックらは彼に助けを求め、上司を殺す計画を遂行していくことになります。
○○ハラ
さて、この映画は分かりやすくハラスメントを取り上げてコミカルに仕上がっていますが、実際こんなに笑えるもんじゃないですよね。
○○ハラ、なんて言葉は重要なんじゃなくて、「断れない状況」に陥れること、が重要なんですよね。私も、新入社員からしたら「先輩」です。会話やなにかの誘いにおいて「断りにくい」という状況を作ってはいけないと思います。また「強いる」ということも良くないですね。必ず、相手を「尊重」した行動をとるべきですね。
世間が「上司に『セクハラ』された」ということで騒ぎますが、それは本当にセクハラですか?普段は、された側ばかり取り上げられますが、本当にその意図があって上司は言ったのでしょうか。あまりに上司に発言権がなさすぎませんか。こんなのじゃ繰り返しになりますが、何も言えなくなってしまいますよ。そりゃ反町だってポイズンなこと言ってしまいますよ。
ちなみに、この映画に関しては、びっくりするほど面白いので、ぜひ見てください。今まで紹介してきた映画の中で、一番見やすいし、絶対笑えるから。
「立派」な仕事って何だろう【ナイトクローラー】
立派な仕事って、誰が決めんの?
小学校の頃になりたかったもの
私はゲームが大好きです。子供の頃に初めて父に買ってもらったゲームは「ポケットモンスター クリスタル」でした。あまりに魅力的すぎるそのゲームをきっかけに、私は様々なゲームに手を出していきます。父もゲームが好きだったこともあり、私に様々なゲームを与えてくれました。一緒に遊んでいたのが懐かしいです。今はswitchの「どうぶつの森」にお熱なようです。
小学校6年生まで将来の夢は「ゲームクリエイター」でした。理由は明確で、面白いゲームを沢山プレイしてきたのだから、次は私が作りたいと思いました。当時、非論理的な「ゲーム脳」みたいな話が囁かれていたのを覚えていますでしょうか。極めて稚拙な話でしたが、当時「ゲームクリエイターになりたい」と言ったのなら、多少なりとも「えーwwwまじ?」みたいな反応をされたと思います。これは世間の「ゲーム」に対する認識が少なからずあると思います。
ゲームクリエイターの夢は途中で変わってしまいました。変わったというか、夢がなくなった、に近いかもしれませんね。何となく思ったんです。「趣味を仕事にしたくないかもしれない」。あくまで好きなものは好きなままでいたい、と子供ながらその考えに達してしまいました。最近イチローさんも似たようなことをおっしゃっていました。
今はSIerと呼ばれる職業に私はついていますが、未だに「ゲームクリエイター」になりたいな、と思うことは少なくありません。
いいよなぁ、人に夢を与えられる仕事って。
子供がなりたい仕事
まずはこちらの画像を見ていただきたい。
昔だったら信じられないランキングだと思います。
単純に、「Youtuber」がなりたい職業の1位になっているということ。10年前なら信じられない調査、というか、そんな言葉もまだなかったかもしれませんね。日本は世界屈指のコンテンツ生産国ですので、その色が出ている気がしますね。
さて、あなたが人の親になったとき「僕はYoutuberになりたい」なんて言い出したら、なんて言いますか?
私は「えーwwwまじ?」って言っちゃうような気がしますね。それは、このYoutuberという、「不確定要素」しかないものに一抹の不安を覚えるからです。しかも既に、Youtuber界隈は飽和状態です。お金を稼ぐという目的であれば、よっぽどのユニークさが必要になります。希少価値、が必要です。また、40,50代になってもそれで稼げますか?と考えてしまいます。どこか安定を求めてしまうのです。これは2位の「esportsプレイヤー」にも当てはまることですね。魅力的なお仕事だとは思うんですけどね。私もなれるものなら、なってみたいと考えたことは何度もあります。
この画像を見て、「アメリカの中学生の夢は立派だなぁ」なんて思った方はいますか?確かに、どれも分かりやすく人の役に立つ仕事ですよね。
立派な仕事って何ですか?
「ナイトクローラー」について
こんな職業しってる?
カメラマン
この言葉って広義で使われますね。例えば、グラビアのカメラマンであったり、テレビ局のカメラマンであったり。私は「廃墟の写真」が好きなんですが、廃墟の写真を撮る人もカメラマンですね。(フォトグラファーっていうのが正しいのかな...)
今回紹介する映画の主人公もカメラマンです。しかし、一味違うカメラマンです。
所謂「パパラッチ」です。
そんな中でも、報道スクープ専門の映像パパラッチのことを
といいます。
今回はその話です。
おおまかなあらすじ
人脈も学歴もないために、仕事にありつけないルイス(ジェイク・ギレンホール)。たまたま事故現場に出くわした彼は、そこで衝撃的な映像を撮ってはマスコミに売るナイトクローラーと呼ばれるパパラッチの姿を目にする。ルイスもビデオカメラを手に入れ、警察無線を傍受しては、事件現場、事故現場に駆け付ける。その後、過激さを誇る彼の映像は、高値でテレビ局に買い取られるように。やがて局の要望はエスカレートし、それに応えようとルイスもとんでもない行動を取る。
ジェイク・ギレンホール
この映画の主人公を演じるのは「ジェイク・ギレンホール」。
彼の顔を観て、すぐお名前が出てきた人いますか?私は毎回、一回思い出す時間が必要になってしまいます。。。
国際的にも人気があり、『ピープル』誌が選ぶ「最も美しい人50人」のひとりに選ばれており、同誌の「2006年の最もセクシーな独身男性」にも選出されています。
日本では「まぁまぁ有名」くらいの立ち位置の彼ですが、出てる映画をリストアップしてみれば、いかに優れた俳優なのかが、すぐにわかります。
21世紀のカルト青春映画の傑作「ドニー・ダーコ」に、ヒース・レジャーの伝説の名演と作品の内容ゆえのオスカーでの不遇で名声を高めた「ブロークバック・マウンテン」。デヴィッド・フィンチャーの「ゾディアック」。
。。。?
あまりに強烈な作品に出てるな?
毎回毎回主演俳優を取り上げる必要はないんですが、今回はわかりやすい魅力を共有したいんです。
まずは「ブロークバック・マウンテン」のジェイク
そして、今回紹介する「ナイトクローラー」のジェイク
そう。彼は通称「カメレオン俳優」と呼ばれており、映画によってあまりにも人が変わってしまうんです。
「ナイトクローラー」のジェイクには、一切満面の笑みなんてありません。セクシー俳優の無駄遣いに近い映画ですが、びっくりするほど雰囲気にマッチしています。
見た目が違うのは当然なんですね。
この映画の撮影のために、彼は二ヶ月間の減量をします。
「昼夜逆転」の生活を送って12kgも。
映画の冒頭
ルイス(ギレンホール)は深夜を過ぎたロサンゼルスの操車場に侵入し、闇にまぎれてフェンスを切断しています。盗んで業者に売るためですね。
帰り道、彼はある光景を目にします。
事件現場に早急に到着し、痛ましい映像を収める「部外者」たち。
通称:ナイトクローラー
彼は、定職についておらずフリーターであったため、この仕事を生業にしようと意気込みます。どこか、彼を惹きつけるものがあったんでしょうな。
彼は、自前の知識で事故現場のスクープ映像を収め、テレビ局に行きます。
プロデューサーに映像を売りに行くとこんなことを言われます。
これを言われたルイスは、さらなる過激な映像を求め、犯罪まがいなことを犯しながら、着実にナイトクローラーとして成長していきます。
人というものはさらに過激なものを求めていくもの。プロデューサーの要望も高まっていき、彼はとうとう、正真正銘の犯罪に手を染めます。
一人ではすべての犯罪を追いきれない、と小さな会社を作ります。これで売れっ子街道まっしぐらです。需要に供給が応えはじめてきます。
ここまでがおおよそ映画の1/3くらいの内容ですかね。
ちなみにこの映画、後味最悪です。
ぜひ見てください。私はこんな映画が大好きなんです。
ルイス「僕のモットーは、デカく当てたいなら、リスクをとれ」
この章の最後に、彼のこの映画でのキャラがわかりそうなキャプチャを載せておきます。
「立派」ってなに?
記事の冒頭で、立派な仕事ってなんだよ、と私は投げて終わりました。
私は思っています。
どんな仕事も「立派」な仕事であると。
当然、犯罪に手を染めていたり、人を騙すことが前提の仕事であったり、ネズミ講みたいなやつは該当しませんよ?
ただ、どんな仕事だってだれかの役に立っていて、誰もバカにする権利なんてもっていません。よく、水商売をバカにする人を見ます。風俗嬢やホストなど。じゃあ、お前が一度やってみろよ、あの人たちみたいにお前が稼いでみな、って思うわけです。なにかしらの職に就いて、おまんま食べるということはそれなりの努力が必要であるということを理解している人はバカにすることはできないはず。
褒めるときに「立派な職業に就きましたね」と言うことは悪いことではないと思います。しかし、どんな仕事も「立派な仕事」です。YoutuberだってeSportsプレイヤーだって。
ルイスがしていたパパラッチだって、誰かの需要に応えたもの。
誰かが必要としている仕事は、なんだって「立派な仕事」だと思うんです。
そして、もし子供に「Youtuberになりたい」「eSportsプレイヤーになりたい」と相談されたら、バカにするのではなくて、私たちが「おススメしない」理由を言ってあげるべきですね。もしくは素直に「応援」してあげるべきです。
一番良くないのは、理由が明確でない「否定」です。
自分の居場所を見つける事、作る事【ソーシャル・ネットワーク】
コミュニティにおける「居場所」
高校というユートピア
「ユートピア」という表現を各所で観ると思います。これはイギリスの思想家トマス・モアの著書であり、そこに出てくる架空の国家の名前です。「理想郷」や「無何有郷(むかゆうきょう)」なんて表現されることが多いですね。ユートピアの語源は、ギリシア語の「オウトピア」=「どこにもない場所」に、接頭語の「eu-」=「良い」がついて、「素晴らしくて良い場所であるが、どこにもない場所」であると言われています。皮肉ですね。
以前の記事で書いたと思いますが、私は高校時代ほとんど友達がいませんでした。その代わり、高校というコミュニティの「外」で、友人を沢山作りました。親は行くことに良い顔をしていませんでしたが、ゲーセンに通ってました。そこで沢山の友人を作りました。お世話になってばかりでしたけど、彼らの話は高校生の私には刺激的で、知らない世界を沢山教えてもらいました。彼らとは今でも遊ぶし連絡を取る一生物の友人になりました。
個人的な見解ですが、高校という、おおよそ価値観、育ち方が似る環境において得られるものなんてさほど多くありません。あくまで、大学生になるための勉強を教えてくれる場所です。生きていくために必要な科目なんてせいぜい政治・経済くらいです。
おそらく、統計的に高校という環境で楽しい経験をした人の方が多いでしょう。これは負け惜しみですが、「高校生の時悪かったわwww」みたいなやつはろくな大人にならないと思ってます。
本当は、高校生の時にしか出来ない、「狭い世界」で形成されるバラエティに少しでも参加してみたかった。
昨今のアニメの大半の舞台は「高校」ですよね。「あんな高校生活を送ってみたかった」なんて思う人も少なくないはず。私たちは、知らず知らずのうちに、高校にありもしない「理想」を抱いているのかもしれません。
しかし僕は、「ゲーセン」というコミュニティを見つけました。
大学という心理社会的モラトリアム
一般的に「モラトリアム期間」と呼ばれている大学生。意味的には、学生など社会に出て一人前の人間となるのを猶予されている状態を指す言葉です。
僕は浪人という期間を経て、一般的な大学に入って、「アカペラサークル」に入りました。当時は「ハモネプ」を夢見てこのサークルに入ったんですよね。
僕はこのサークルを丸2年で辞めます。理由は「コミュニティに属している人間との価値観の乖離」でした。サークル員には「過度なモラトリアム期間の延長」をする人間、「コミュニティの中の生活」しか送らない人間が多く、「酒を飲めるやつが偉い」みたいなしょーもない風潮がありました。バカバカしくて辞めました。
半強制的にサークルに従事する生活から僕は逃げて、奇跡的に浪人の頃から同じだった友人と、その周りの友人と残りの「モラトリアム期間」を謳歌します。
なんとなく友人の家に集まり、ゲームをして、飯を食べて、次の日の授業に遅刻していく。研究室に朝方まで篭って、親友と共通の友人の家に帰る。そんななんでもない生活が素晴らしく居心地が良かったんです。
しかし、この小さく居心地の良かった環境も、一人の「モラトリアム期間の延長」で壊れてしまいました。いつまでも続く居心地の良い環境なんて、そうあるもんではないんですよね。
今回取り上げる映画
今回紹介する映画は僕が進みたい道を決めてくれた映画です。子供が「仮面ライダーになりたい!」って言うのと同じです。僕の中にある仮面ライダーのような存在が、今回の映画の主人公です。今日は私のヒーロー紹介の記事です。
あれ?この記事、ただの日記やん、みたいな感じやと思ってませんか?壮大な前書きを書いてしまい、この後の映画紹介が尻すぼみする感満載です。頑張ります。
映画「ソーシャル・ネットワーク」について
この映画はSNSサービス「facebook」が出来るまでの自伝のような映画です。
理系大学生であるという強さ
この映画の主人公は後に「facebook」を作ることになる「マーク・ザッカーバーグ」。
彼はハーバード大学のゲロ理系ということで、友人とあるサービスを作ります。
その名も「ConnectU」。これはハーバード大学の生徒同士が繋がり合うSNSの走りで、これがのちの「facebook」になります。
彼がこれを作り上げるまでの過程があまりにも理想の理系大学生すぎるんです。
サービスの形態を考えるために透明のボードにアイデアを書いていくシーン。魅力的すぎる。彼と周りが切磋琢磨していく様子は私がなりたかったエンジニア像そのもの。
彼はこのサービスを作るエンジニアを確保するために、ハッキングコンテストを開きます。大学生4人の前にノートパソコンが置かれ、1人がある条件を満たせば、他の3人がショットのテキーラを入れていくというもの。高学歴かつ、パーティ耐性のある理系のみができるこのイベント。理想過ぎへんか?
といった感じで、この映画に出てくる理系はみんなカッコイイのよ。
「ソーシャル・ネットワーク」
まずはいつも通りあらすじから。
世界最大のソーシャルネットワーキングサイト「Facebook」創設者マーク・ザッカーバーグの半生を、鬼才デビッド・フィンチャーが映画化。2003年、ハーバード大学に通う19歳のマークは、親友のエドゥアルドとともに学内の友人を増やすためのネットワーキング・サービスを開発する。そのサービスは瞬く間に他校でも評判となり、ファイル共有サイト「ナップスター」創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへと急成長を遂げるが……。
まあ、なんて言っても魅力的なのは監督がフィンチャーで主演がジェシーアイゼンバーグってとこよね。私の一番好きな俳優です。ジェシーアイゼンバーグの話もしていきましょう。
ジェシー・アイゼンバーグ
彼は通称「オタク系イケメン俳優」。やたら早口が得意なんですよ。アニメ「四畳半神話大系」における、浅沼晋太郎みたいなもんですね。
彼の演技のいいとこは、なんといっても「皮肉」と「早口」。本心で言ってないな、があまりにも上手なところと、理詰めによる早口。しかも顔がタイプ(これは個人的な話)
アメリカでいうNerdな人種を演じるのが得意で、映画「ゾンビランド」では、思う存分発揮。
彼を「見たことがある!」って思う人は、おそらくグランドイリュージョンの視聴者ではないかと思われます。後々、グランドイリュージョンについて紹介するので、またその時ゆっくり執筆します。
おおまかなあらすじ
映画のオープニング。ハーバード大学2年生のマーク・ザッカーバーグと、ボストン大学に通うガールフレンドのエリカがダイナーで話すシーンが、約5分間続きます。ものすごいテンポで、とぎれなく会話が応酬され、マークに呆れたエリカは彼と別れる決意をします。ここでマーク・ザッカーバーグのキャラクターが非常に鮮明に伝わって、そのキャラクターに観客は引き込まれます。
このシーン、「99回」のテイク数があったとされ、ここにフィンチャー(監督)のこだわりが見えますね。実際、映画の冒頭って、のめり込めるかどうかの瀬戸際ですからね。サメの映画と一緒。サメの初登場シーンが寒いと、冷めちゃう。そんな感じ。
マークは友人エドゥアルドと創業者を集めて、connectUを大きなサービスにする事を方針付けます。彼等の良い所は、それぞれがユニークなスキルを持っている中で、確かな役割を持つ人間もいれば、金だけを持ってる木偶の坊みたいなやつ、まとめてひとつの組織として活動する所なんです。適材だけを集めて、小組織を作り上げていきます。切磋琢磨している様子は、研究室にいた自分を思い出させます。
結果、ConnectUは「facebook」として学内限定でサービスを展開し、人気を博します。彼らの事業は次のステージへと進みます。
facebookについてひょんなきっかけから知った「Napster」の創設者、ショーン・パーカーが彼らに目を付けます。彼はサイトを通じて、マークに声を掛けます。facebookのスポンサーを探しに来たマークとその友人エドゥアルドは、ショーンと面会してビジネスの相談を持ち掛けようとするが、ショーンの一方的な「独演会」となってしまいます。自分の考えをまくし立てるショーンに対し、エドゥアルドは人となりに疑いを抱く一方、マークはその考えに魅了されていきます。
徐々に、マークとエドゥアルドの間の考えや方向性の違いが如実に表れてきます。元々はいいサービスを作るために切磋琢磨していた二人ですが、ずっとあの頃のままの関係でいることはできないのです。
ショーンのおかげでfacebookは巨大なサービスとして成長し、成功する一方で、マークには疑問や情による葛藤が消えませんでした。
続きはこの映画を見てくださいね!
居場所を選ぶということ
マーク・ザッカーバーグは、才能がある故に、彼を狙う人間、資産を狙う人間がこの映画には出てきます。彼はこの映画の中で、極めて論理的な考え方を根幹に、無慈悲な行動を取ります。
情というものは人生において、ろくな行動を取らせません。なぜならそこには、あなたにとって「マイナス」になる要素を包含しているからです。私が大学生のときにサークルを辞めたように、居場所を変えるということには、多少なりとも葛藤があります。その点彼には、「利益を追い求める」という合理的な考え方を持ってます。
私たちが人間付き合いをする上で、身を置く場所を考える、というのは必要不可欠な要素。そこに正解なんてないと思っています。ゲーセンで私が教わったことなんて、生きていくうえで必要のないことがほとんど。たくさんの友人から、悪いことを沢山教わったと思います。しかしこの環境で私にとって「マイナス」に働いたことはひとつもありません。彼らには感謝しかありません。これは情でもなくなんでもなく、私の私利私欲のまま動いた結果です。とはいえ、情で動くのも理由としては間違いないはず。
私は、居場所を選ぶ上で正解なんてない、と思うのと同時に、見極めることは必要だと思っています。当然そこには、メリットがあればデメリットがあります。「ユートピア」なんてどこにもないんです。
彼は「利益」を最大限に追い求めた選択をします。理想ではないと思います。ただ、この映画を観て、あなたの居場所の指標ができればな、なんて私は思うわけです。
母「いちばん怖いのは人間だよ」【サクラメント 死の楽園】
子供の頃に怖かったもの
2005年くらいまでは、夏の時期ってやたらと心霊番組やってましたよね。最近は減ってしまいましたけど、個人的には嬉しいです。
今でこそホラー映画って一人でも観るんですけど、高校生くらいまでは大っ嫌いでした。
「お金を払って怖い思いをするって何事?パクチーを食べるのと同じくらい意味が分からん。」
って思ってました。他にも、怖くて嫌いなものがあります。
ジェットコースターです。
あれは、現代の拷問といっても過言ではなく、人類の生み出した電気の無駄遣いの一つですよね。
ジェットコースターの高さを 0 として、最高点の距離を h と置きます。重力加速度を g として、ジェットコースターと人の質量を m とします。ジェットコースターが最高点に到達した際にはmghの位置エネルギーを持っており、1/2mv^2と等式の関係が成り立ちます。
というようなことを考える暇もなく、あの鉄の塊は無慈悲にも頂上から落っこちていくわけです。しかも、何が嫌って、友人と行くと断れないでしょ、あれ。「○○も乗るよね!」ってキラキラした顔で言われたら、断れないでしょ。「え?全然余裕ですけどwww」みたいな顔して、実際は心臓バクバクしてるんです。わかってください。というか、そもそも友達とそんなとこ行くのも個人的には苦手なんです。喫茶店でいたずらに時間を潰そうよ。
あと、単純に怖い。高いところは怖いし、早いのも怖い。
という感じで、今でもジェットコースターは苦手なんです。
しかし、ホラー映画には慣れてしまいました。これが大人になるっていうことですかね。あらゆる現象に関して、「んなことあるわけねぇじゃんwww」って最終的には言えるようになった、ってことかと、思ってましたが、そこじゃないんです。考えが変わっただけなんですよね、自分の中での怖いものランキングが。
生きてる人間が、一番怖いよ
映画「サクラメント 死の楽園」について
この映画のご利用ガイド
さて、今回この映画を挙げさせてもらいましたが、先に言っておきましょう。
この映画、所謂「胸糞映画」です。全員にオススメ出来るものではなく、尚且つR18指定のある作品です。嫌な予感しかしませんね。
一人で観ることをオススメします。それか、嫌いなカップルにでもオススメしてあげてください。
私は紹介しているだけで、オススメしているわけではないです。(保険)
以下、過激な内容をサラッと書いているので、閲覧注意です。
事前に知っておきたい情報
この映画の内容を紹介する前に、書いておきたい事が2つあります。
1.最強の臨場感演出法「POV方式」
「POV方式」という言葉をご存知ですか?
POV方式とは「Point of View Shot」の略で、日本では「視点ショット/撮影」「主観ショット/撮影」などと訳されます。 カメラの視線と登場人物の視線を一致させるようなカメラワークでよりリアリティのある映像を作り上げることができるため、フェイク・ドキュメンタリー映画でこの方式が取られます。
ピンと来ない人は映画「パラノーマル・アクティビティ」を想像してください。映画用のカメラではなく、ホームビデオのような物で撮影した映画です。あの大泉洋が出てるバラエティ「水曜どうでしょう」の感じで、ホラー映画を取ったら、「パラノーマル・アクティビティ」になります(適当)
この手法はフェイク・ドキュメンタリーと言うジャンルを効果的に演出する方法で、映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」が走りだと言われています。
後にこの手法を利用した映画が大ヒットし、一気に人気ある撮影手法として確立されました。その映画とは以下の二つ
パラノーマル・アクティビティに関しては有名すぎますね。たった1.5万ドルで作ったとは思えないクオリティと売上を記録しました。しかも怖い。けど、ビビった自分に腹が立つから嫌い。全シリーズ観た。
そして、クローバーフィールド。こちらは、「なにか分からない、凄く大きな何者かにニューヨークが滅茶苦茶にされる」といったSFパニック。この映画は、当時の映画の常識を大きく変えました。この映画、最後まで敵の存在がなんなのかほとんど分かりません。ずっと一人称視点で映画は進んでいくため、私たちが理解しているレベルが、主人公と同期してしまいます。従来の神様視点で、おおよそのストーリーが分かる必要がある、という常識がぶち壊されました。
長くはなりましたが、このPOV方式で撮られた映画は、以上の2つの作品を契機に爆増していきます。
今回紹介する映画も漏れなくこの手法で撮られているため、臨場感は折り紙付きです。
2.人民寺院の集団自殺
こちらの字面の怖さ。
軽く「人民寺院」(通称:ジョーンズタウン)について概要を掲載しますね。
ジョーンズタウンは、アメリカ合衆国のキリスト教系新宗教(カルト)・人民寺院によってガイアナ北部に開拓・設立された町(コミューン)。正式名称は、ピープルズ・テンプル・アグリカルチュラル・プロジェクト(人民寺院計画)であり、ジョーンズタウンは通称である。1978年11月18日、この人里離れたコミューンで計918人の集団自殺を決行したことで世界的に著名になった。後にこの開拓地の名前は、このコミューンで起こった惨劇そのものを示すこととなった。
(Wikipediaより)
そのまま掲載してしまうと、「ん~よくわからん」になるので、簡単にかみ砕いて話していきましょう。
1950年代に人民寺院はアメリカで生まれ、妄想と紙一重の異常な思想に染まった教祖の下で海外への集団移住を行い、ついには大量の集団自殺という形で終焉を迎えました。
この集団自殺は世界中に衝撃を与え、現在に至るまでカルト宗教の代名詞として知られる原因となります。
当初の思想は、白人と黒人の融和、そして貧富の差の撲滅でしたが、末期には「財産と生活を教団にささげること」「教祖とヤること」が第一とされ、最終的な目標は「別の惑星で皆ひとつの魂となり、永遠の幸福を得ること」と設定されていました。あまりに過激すぎる「人類補完計画」みたいなもんですね。
この新興宗教の創設者および教祖はジェームス・ウォーレン・"ジム"・ジョーンズ。彼の名前をとって、人民寺院はジョーンズタウンと呼ばれていました。この集団自殺では全体で918人が死亡し、内276人が子供でした。現代における同様の惨劇の中でも最大規模のものであり、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生するまで、アメリカ合衆国民の故殺において最多の被害者数を記録した事件だったのです。
これがおおまかな説明になります。伝わりずらいかもしれません。申し訳ない。。。
ここまで読んでいただき大変感謝していますが、同時に、この映画を観る気力はどんどん削がれていきませんか?
「サクラメント 死の楽園」
【あらすじ】
ある日、連絡が途絶えていた妹から奇妙な手紙を受け取ったパトリックは、過激な突撃潜入取材で知られるVICE社のサムとともに、妹が暮らす共同体に潜入取材を敢行する。「エデン教区」と名付けられたその場所では「ここで豊かな生活ができるのは『ファーザー』のおかげだ」と、パトリックの妹をはじめ、誰もが幸せそうに生活を送っていた。しかし、平和に思われた「地上の楽園」に、不可解な空気が見え隠れし始める。
こちら、劇場公開はほとんどされておらず、所謂B級映画。そらそうよね、内容が内容なんで…。
監督はあのグロ表現に定評のあるイーライ・ロス。かなりの大御所なんですよ。だから、B級という括りにするのも少し怪しいところ。「ホステル」や「グリーン・インフェルノ」、「イングロリアス・バスターズ」あたりが有名ですかね。
この作品一番の特徴は
ほとんどの登場人物の様子がおかしい
ということ。
映画の序盤を軽く使って紹介していきます。
突撃潜入取材に来た彼ら。二人は映画の最初から、「なんか胡散臭いよな」という、半信半疑の状態で人民寺院に向かいます。そこでの信者たちの生活はまぁまぁ充実してそうで、彼らがいうところの「俗世」とはかけ離れた生活を送っているようです。ここで自給自足が成り立っているみたいですね。
ある程度ここの生活がわかってきたところで、彼らは、ある集会のワンシーンをみることになります。
このシーンから何か感じますか?おそらく何も感じないと思いますし、単なる一つのシーンです。
しかし、彼らの前で話している人間がだれなのかわかれば、皆の面持ちの違和感に気が付くはず。
そう。事前に紹介した、畜生。
彼はこの新興宗教の教祖である。
言っていることは滅茶苦茶。やることも過激。
しかし、それに違和感を持った表情をする人間はいない、主人公たちを除いて。
定期集会のシーンで「何か感じますか?」という問いを投げかけました。何かを感じるわけないですよね。
だって、彼らとしては教祖の言葉を「あたりまえ」であると受け取っているので、表情から受け取れるものなんてなにもないんです。ここが、私たちの「不安」「違和感」を掻き立てる重要なシーンとなります。明らかに自分たちと違う思想を持った「人間」が、何喰わない表情で存在している、ということに一種の「恐怖」を覚えます。
個人的な見解ですが、映画の演出としていちばん怖いのは「言葉に出来ない、謎の違和感」だと思っています。「もうすぐびっくり系が来るぞ!」っていうのは、用意ができるし、わかりやすい。仮に、その読みが外されてもびっくりするだけです。
「不適な笑み」という言葉が、不気味な表情の表現に使われたりしますよね。それは形容「できている」んですよね。
この作品ではそれが不可能です。なにかわからないが、「様子がおかしい」。その「違和感」をうまく言葉にできないまま映画は進んでいきます。
この映画、登場人物全員が狂っているわけではありません。
潜入取材が進むにつれて、少しずつこの場所の化けの皮が剝がれてきます。
まともな思想を持った人も存在していることも確認し、物語は少しずつ、「取材」から、「この場所からの脱出」に目的が変わってきます。
また、物語の進行と同時に我々が抱いていた「違和感」の輪郭が浮き出てきます。
この畜生の教祖が一体何を考えているのか、信者がここにいる目的とはなんなのだろうか、そもそもこの場の真の目的とはなんなのだろうか。
抱いた「違和感」が「理由」に変わったとき、また「恐怖」を植え付けられます。
最悪なシナリオがいとも簡単に想像つくからです。
続きは、映画を見て確かめてください。
かなりショッキングな映画です。ですが、怖いものみたさを煽る「ムカデ人間」同様、興味本位で観てしまう映画だと思ってしまいます。私は少なくとも興味本位で観ました。
最後に
こちらの作品をオススメはしません。ですが、こんな事件があったのか、とフィクションではあるものの、知っておくべきものかもしれません。
母が「いちばん怖いのは人間だよ」と言っていた理由をこの映画でまた確かめました。下手なホラー映画なんかよりよっぽど怖いですよ。