あまりにも出来がよすぎるB級パニック【ディープ・ブルー】
「パニック映画」と「B級映画」
「ファミリー向け映画」
古来から、「ファミリー向け映画」というジャンルの映画は作成され続けています。これは、ママパパの「家族サービス」にうってつけのコンテンツで、私が子供の頃は「モンスターズインク」や「ファインディングニモ」、「千と千尋の神隠し」などに連れてってもらいました。いつからか、家族で映画館に行く、という文化は少しずつ減ってきているみたいで、少し悲しいですね…。
映画にかかわらず、芸術に触れる機会を親が与えるってのは大事なことで、私は親のおかげで、映画や美術作品に興味をもてるようになりました。感謝してます。
なんでもいいんです、観せてくれる、読ませてくれる、連れてってくれる、これで子供の価値観は形成されていくのですから
形成された結果
さて、あまりにも綺麗な言葉が並び過ぎてしまい、発作が出そうですね。
母はよく一緒に映画を観よう!と幼い私に声をかけてくれました。本当に嬉しかったです。その時よく観せられた作品を書き出してみました。
- エイリアン2
- アナコンダ
- ハムナプトラ
- KING KONG
- オースティン・パワーズ
- トータルリコール
なんか変に偏りが見受けられますね…。特に「オースティン・パワーズ」なんて、子供に見せていい作品ではないですね。下ネタと非道徳的な表現の応酬。教育という言葉の真逆を行く神作品です。しかもエイリアンシリーズは2なんですよね。リプリーが最後ガンダムに乗るヤツです。もっと子供向けの丁度いいやつとかあるやろ。辛うじてハムナプトラが対象年齢的にマッチするかどうか…。
全部に共通しないですが、幼かった僕は、分かりやすいパニック映画が好きでした。未知のクリーチャーと派手に戦う!いいじゃない。子供向けではないといいつつも、上にあげた映画のうち、「オースティン・パワーズ」を除けば全て金曜ロードショーにて放映されています。つまり、多少なりとも万人受けするであろう映画なんです。
そして、この作品の中で「エイリアン2」や「アナコンダ」は「パニック映画」というジャンルで括られることがあります。(エイリアンシリーズはそもそもSFなんです。でも、世間ではパニック映画の印象が強いみたいですね…。)
そもそものパニック映画の定義
パニック映画と一言でまとめるのは簡単ですが、どういうものがそこに該当するのか、って話です。ここで、軽く定義づけをしてしまいましょう。
【パニック映画】
災害や大惨事など突然の異常事態に立ち向かう人々を描く映画のジャンルのこと。様々な人間の行動を描くためにグランドホテル方式が用いられることが多い、とされています。
ちなみにグランドホテル方式と言うのは、言わば群像劇のこと。ひとつの場所に様々な人間模様を持った人が集まって、そこから物語が展開されていく方式。
この類の物は、CGの進歩に伴ってクオリティがグングンと上がりやすい作品のひとつなんですが、最近は劇場で公開されるパニック映画そのものが多くないんですよね…。
これ、当然といえば当然なんです。
今のパニック映画の市場は劇場公開をメインにされたものでは無い、B級映画市場にあるから、なんですね。
ほりだせ B級映画の森
B級映画っていうのは、A級映画の添え物として、低予算で無名・新人の俳優を使い、駆け出しや一流とはいえない監督が短期間で撮影した上映時間が90分以下の映画のことを元々は示していました。
今となっては、大きな映画館で放映されない映画の総称となっている気がします。まあ、特にここは問題では無いです。
海外のキモオタって、悪趣味な、時には誰も思いつかなかったユニークなSFやホラーを作ったりするんです。しかし、ユニーク過ぎる作品を劇場公開するのは至難の業です。そりゃそうですね。大きな興行収入を見込めないからです。
ところが思わぬヒットを生む作品がしばしば出てきます。
例えば、「ムカデ人間」。悪趣味過ぎるコンセプトのくせに、3まで作られるくらい大ヒットしましたよね。あまりに不謹慎過ぎるが故に怖いもの見たさでで見る人が続出。結果、日本でも9週連続でロングラン上映されることになりました。個人的には、正直コンセプトがズルくて、そりゃ売れちゃうよな、って思っちゃいます。
つまり、コンセプトさえマッチしてしまえば、B級とか関係ないんですよ。
じゃあ、ずるいコンセプトでB級作ってしまえばよくね?
ということで、超名作B級映画を紹介します。
映画「ディープ・ブルー」について
サメの掛け算
早速、今回紹介するディープ・ブルーについてあらすじから。
【あらすじ】
太平洋上に建造された巨大な海洋医学研究施設アクアティカでは、凶暴なサメの脳組織から新薬を製造する研究が進められていた。だが研究を急ぐあまり、責任者であるスーザン博士はDNAを操作、その結果サメは巨大化しただけでなく高度な知能までも手に入れてしまった。やがて、太平洋に猛烈な嵐が来襲、トラブルが重なって施設内に殺戮マシーンと化したサメが侵入してしまう。
昨今流行りのB級サメ魔改造映画の起源です。
「サメ」というコンテンツは何と組み合わせても良い、と古事記にもそう書かれています。
最近知ったのは、「トリプルヘッド・ジョーズ」という作品。その、サメの頭を3倍にしたら3倍人を襲えるだろ、みたいなヤケクソ作品もB級サメ映画界ではお約束。のちのち、B級サメ映画特集とかしてもいいかもしれませんね。
ということで、サメはなんにでも合うことがペンシルベニア大学の研究でも証明されている訳ですが、この映画の魅力について話していきましょう。
お約束の応酬
この映画の魅力。それはなんと言っても、今となっては「お約束」「フラグ」というものをこれでもか、というくらい詰め込んでいる、ということ。それを一部紹介していきましょう。
- 初登場シーン
サメ映画の初登場シーンは、決まって背びれが見えるもの。ここが最初の掴みどころさんで、ここの演出が下手な映画は正直萎える。
この映画の登場シーンは、狭い「室内」を泳ぎまわるサメ、あまりにも怖すぎねぇか。 - 絶対的な死亡フラグ
確実に死ぬことを約束された流れ。
あんまり、みんなで生きて出ることを頑張ろうとして、軽く頭に血が上るキャラクターはやばいよ。 - パニック映画に必ずいる、黒人なごませキャラ
絶対にパニック映画に一人はいる、黒人キャラ。この人たちは絶対に死なないし、場を和ませることができる力を持っている。この映画の人は体が強いキリシタンという、「プライベートライアン」に出てくる、スナイパー「ダニエル・ジャクソン」くらい人気のあるキャラ。
安堵出来るということ
B級って言われると不安かもしれませんが、大丈夫。この映画は気持ちの良い終わり方をします。安心してください。
映画を観る上で、「あー面白かった」と手放しで言えることは重要だと思います。その感想が欲しいがために皆さん映画を作ります。
最近、映画にメッセージ性を求めすぎていると個人的には感じてしまうんです。いいじゃない、メッセージ性がなくたって。そんなに必要ですか?
映画を「観せられる」「観せる」ということ
さて、長くはなりましたが、この記事の始めに、「ファミリー向け映画」の話をしましたよね。
私は何も「子供向けの映画」がファミリー向け映画だとは思っていません。素直に分かりやすい、面白い作品であれば、その作品は「ファミリー向け映画」になり得るというわけです。
私たちが「お約束」と言って、なんとなく通じ合えるのは、今までそんな作品を見てきたからじゃないですか?
私は親から沢山の映画を「観せられ」ました。そのおかげで、今こうやって記事がかけるし、話のネタも沢山あります。
もしあなたが、誰かの親になるなら、既になっているのであれば、そんな「一般教養」を学べるような作品を「観せる」立場になって欲しいんです。
たまにはこんな綺麗な記事書いてもいいですよね。
カッコイイ女性にちゃんと惚れたい【ゼロ・ダーク・サーティ】
好きなタイプの話
私は歳上のカッコイイ女性が好きです。(唐突な告白は乙女の特権)
物心がついた時からクールビューティ、歳上というものに、やけに惹かれるようになりました。例えば、椎名林檎、吉瀬美智子、麻生久美子(これはただの好み)。顔もキツめの方が好きなんですよ。私のMっ気が強いだけかもしれません。
女性の中でのイメージでは、男性は年下の若い女性が好きで、支配欲や征服欲を少なからず持っている、それを満たせるのは年下の女性だ、というのはしょーもない固定観念。男がみんなこう思ってると思いますか?
歳上好きの心理というものはある程度研究でも証明されており、求めている事は「甘えたい」に尽きるんですよね。
甘えたいという心理を突き詰めていくと、「頼り甲斐がある」という感情に近づくと個人的には考えています。仮に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」と言葉を残した武田信玄が女性だったら、瞬く間に仕えていたと思います。このご時世、女体化武将なんてソシャゲにおいて珍しいジャンルでは無いので、コンビニ感覚で課金してしまえばいいんですね。
さて、散々歳上女性と戦国イケオジ(女性)の話をしてきましたが、今日紹介するのは、そんなかっこいい女性の映画について。
映画「ゼロ・ダーク・サーティ」について
そもそも「ゼロダークサーティ」ってどういう意味?
この言葉は米軍隊の俗語で「未明」を意味します。日本の警察で言うところの「ラッパ」=「話を盛る」、「嘘」みたいな物だと思ってください。
「俗語」という文化を調べると面白いんですよね。例えば、「刑事」の事を「デカ」と言うのは当たり前過ぎて違和感がないですよね。これは明治時代に、制服を着ず和服を着ていた刑事巡査のことを「角袖巡査(かくそでじゅんさ)」や「角袖(かくそで)」と呼んでたことが始まりです。 「角袖」とは四角い形をした袖のことで、和服の袖が四角いことから和服を意味します。この「角袖」を逆さまにし、初めと終わりだけ取った結果、「デカ」と呼ばれるようになったんです。今更感ありますかね。
ちょっと本題から逸れました。
「ネプチューンスピア作戦」
この言葉を聴いてピンとくる人は、かなり、ニュースを観ていた人。もしくは世界まる見え。
この作戦は911で甚大な被害を受けたアメリカが、アルカイダに復讐するための作戦でした。アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンは、アメリカ合衆国連邦政府によって、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の首謀者と断定されました。
以降、アメリカは試行錯誤しました(適当)。アメリカ合衆国による大規模な捜索にもかかわらず、拘束することができないまま10年近くが経過するんですが、2011年5月2日パキスタンにおいてアメリカ軍によってウサーマ・ビン・ラーディンの殺害が確認され、2001年以来続いてきた対テロ戦争は一つの節目を迎えることになりました。
以上を実現させたのが「ネプチューンスピア作戦」なんです。
あまりに映画紹介までの導入が長すぎましたね…。
「ゼロ・ダーク・サーティ」
さて、今回の映画の紹介です。
この作品は2011年5月2日に実行された、ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害にいたる経緯を描いた、実話を元に作られたフィクション映画です。
【あらすじ】
華奢で青白く澄んだ瞳が印象的な20代半ばの女性・マヤ。とてもCIA分析官には見えないが、情報収集と分析に天才的な感覚を持ち、一向に手掛かりをつかめないビンラディン捜索チームに抜擢される。捜査は困難を極め、ある日、同僚が自爆テロに巻き込まれて死んでしまう。その日を境に、狂気をはらんだ執念でターゲットの居場所を絞り込んでいくマヤ。ついにマヤは隠れ家を発見するのだが、果たして国家が下す決断とは――。
この映画の魅力は以下の二つ。
- 主演「ジェシカ・チャステイン」の演技
- 一生暗い雰囲気の続く2時間半
2つ目を魅力としているのには、訳があります。
ジェシカ・チャステイン
皆さんはこの女優を知っていますか?
日本における有名女優と言えばエマ・ワトソン(好き)、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ヘレナ・ボナム・カーター(好き)、アン・ハサウェイとか、ですかね。ちょっとセレクトに困りましたが、思いつきで書いただけです。正直山ほどいます。
ですが、ジェシカ・チャステインはここまで有名ではないのではないかと個人的には思うんですよね。
彼女の良いところは、「芯の強い女性」を演じるのがあまりにも上手すぎるということ。顔とか演技で個性を出さない「実力派」という事です。日本人で言ったら、田口トモロヲみたいなもんですかね。違いますか。
彼女が出ている映画で、もう一本めちゃくちゃ好きな作品があるので、今度紹介します。
この映画には彼女の魅力が最大限に詰め込まれています。
暗い雰囲気が続く、という魅力
金曜ロードショーにこの作品がピックアップされることはまず無いでしょう。なぜなら、金曜ロードショーでセレクトされる映画には、分かりやすい「起承転結」と感情の「起伏」があるから。他にも、分かりやすい「ハッピーエンド」がそこに存在する、ということも大事かもしれませんね。
この映画の視聴者に「楽しい」「ワクワクする」なんて感情は与えられません。
ただ、緊迫した空気を浴びせられ、焦燥感を煽られるだけです。
これだけ言われると、「懲役150分」みたいな感じがしますね。でも実際にそうかもしれません。
エンディングを観るまでは。
この映画、決してアクションシーンが無いわけではないです。しかし、メインは作戦を立て、実行するまでの過程を描いたものであって、おまけ、くらいの認識でいてください。決して爽快感溢れるものではありません。
私は基本的にネタバレをしない方向で記事を描きたいので、内容についてこれ以上言及しません。
どーせ、最後は作戦は成功するんです。ただ、それが分かっていたって、重厚に淡々と流れていくこの話を「しんどい」という感情なしに観ることは、まあ無理でしょうね。
このマイナスな雰囲気が漂う中、様々な事件と葛藤に押し潰されそうになりながら藻掻いて、無理やり冷静を保とうとする主人公。これを演じるジェシカ・チャステイン。
あまりにもカッコよすぎやせんか?
「こんな上司についていきたい」
一回観て、ジェシカ・チャステインに惚れてみませんか?
ただほろ苦い青春なんていらなくて【ウォールフラワー】
なんでブログはじめたの?
そもそも、はてなブログなんて始めたのも、消費し続ける生活がイヤだっただけで、明確な理由なんてないのよね。
ただただ、無限に振ってくるタスクで押しつぶしてくる社会人生活がつらくて始めただけです。
多分、映画とゲームの話をするだけの記事が延々と続くと思います。
以上
映画「ウォールフラワー」について
突然自分語りしてもいいっすか
「涼宮ハルヒの憂鬱みたいな高校生活を送れなくてもいい。でも、らき☆すたみたいな高校生活をなんとなく送ってみたい」なんて淡い期待は、登校一日目に粉々になりました。風の前の塵に同じです。
振り分けられたクラスは、この世の陽キャ()を集めたような地獄。当時から思っていたんですけど、高校生の陽キャが陽キャたる所以って、"恥知らず"だからなんですよね。
昨日テレビでやってたバラエティの真似を恥ずかし気もなくできること、大声で話せること、簡単にセクハラができること。今考えると、足が速くてモテる、っていう謎理論と同じ。嫌いなんだよなぁ、あーいう人種。
なんて考えていたら、僕は高校生活でほとんど友達ができず、今連絡を取る子はせいぜい一人*1ゲーセンと家の往復しかしておらず、家で映画とゲームの永久ループ。
唯一思ったのは、アメリカの学校じゃなくて良かった、って思うこと。アメリカのカーストってすごいから。。。
アメリカのスクールカースト
映画「ハイスクール・ミュージカル」ってすごいキラキラしたアメリカの高校生活が描かれているけど、その下には、大量の屍が転がっているわけで。
通称Nerd(ナード)と呼ばれるアメリカの陰キャの大群の上に成り立つ、牛乳をチンしたときにできる薄い膜程度の希少な存在"Jock(ジョック)"と"QueenBee(クイーンビー)"を主体にした映画が「ハイスクールミュージカル」です。(知らんけど)
ここで、知らない人のために、簡単にアメリカのスクールカーストについて解説を。
ヒンドゥー教で言うところの司祭:バラモンに相当するカーストが、この図で言うところの"Jock"と"QueenBee"。
Jockは大概アメフト部のやつ。QueenBeeはそのチア部みたいなやつ。唯一日本の陽キャ()と違うところは、体育会系であるということ。こーいうやつらが夜な夜なパーティして、ドラッグとかやるんでしょ?(偏見)
アメリカの親は、息子をJockにしたいがために、幼少期からスポーツを習わせるなんてことも珍しくないらしい。
そしてSidekicks。こいつらは取り巻きで、所謂"金魚の糞"。絶対に物語の主人公にはなれないけど、カースト弱者を絶対に下に見るやつ。
書けば書くほど口調が荒くなってきましたが、カースト上位の人間が主人公になってる映画がかなり多い。実際にはカースト内弱者が40%も学校にはいるのに。
本当はこの"Nerd"をメインにした作品も紹介したいところではあるけれども、それはまた別の機会に書こうと思う。
という感じで、比較的2000年代までの映画は、この「薄い膜*2」を主体にした映画が主流でしたが、2010年代から、この流れが少し変わってきます。
その中で今回紹介したい映画があるってわけよ。
「ウォールフラワー」
「おすすめの映画ある?」って聞かれたときに絶対に最初に奨めるのがこの作品。
この映画とカリオストロの城は親の顔ほど見た
【あらすじ】
1991年、チャーリーは春に友人のマイケルが自殺したことに強く動揺し、孤独と不安を抱えながら高校に進学する。学校が好きになれなかったチャーリーだが、授業の工作クラスで「ナッシング」と呼ばれる変わった面白い上級生、パトリックと出会う。その後学校のフットボールの試合を一人で観戦しに行くと、パトリックがサムという義理の妹と一緒にいるのを見つけ、2人と知り合う。チャーリーはサムに心惹かれる。
ネタバレしない程度にあらすじを載せたわけだが、簡単に言うとこんな感じ。
主人公チャーリーは、カーストの話であげた"Nerd"に分類される人種。ナッシングはカーストの図でどこに位置するかも難しいが、引き立て役、通称:Slackerに近いかもしれない。ほんで、ナッシングの義理の妹サムがエマワトソンなんよ。文句ないでしょ。
この3人の理想とも言い難い"甘酸っぱい"青春を描いたのがこの作品。
陰キャの主人公チャーリーに、なぜかよくしてくれるナッシングとサム。今までくそだと思っていた学校生活が少しずつ楽しくなってきた。なんならエマワトソンのことめっちゃ好きになってきたんやけど。見える世界の色が変わってきた気がした。
ってな感じの映画。映像が良い、っていう表現はあまりにも抽象的すぎるので、表現を変えたいと思う。
この映画における主人公の心象は、すべて映画の中で完結している。
という風に感じている。それは映像美や表現で、主人公の感情がストレートに映画の"画角"で補完されきっている、ということ。
魅力を語る、ということがこれほどまでに難しいものなのか、と書きながら思った。
今回はこれくらいで。気になったら、ぜひ見てほしい。